2016年4月21日木曜日

熊本城の崩壊危機:復旧・再建も歴史なら撤去も歴史か

一本の石積みで支えるなんて凄いこと。無理だろうが
このまま残すことに意味があるのでは
民放テレビニュースから
今回の熊本地震で熊本のシンボルである熊本城が崩壊の危機に瀕している。復旧・再建も歴史だが、再建せず撤去するのも歴史ではないか。「ここに櫓があったが2016年4月14日M7の前震、続く2016年4月16日のM7.3の本震で倒壊した」というのも歴史なのだ。

復旧/再建ばかりが歴史を刻むのではなく、倒壊で再建しなかったことも熊本地震の記録になり、歴史を刻むことになるのだ。

しかし、県民や観光客にとっては熊本城の復旧は念願だろう。

天守閣の被害を見ると外観は、全てが落下している屋根瓦の被害が大きいが、内部の被害も軽いとは思えない。

早速日本財団が30億円を拠出するという。もっと費用は掛かるだろうが復旧することは出来るだろう。HPを見ると今までも計画的に復元工事をやっているという。

でも、崩壊した櫓まで再建し復元することに意味があるのか。再建せずに地震という自然災害で倒壊したという事実を残すことも歴史を語ることではないか。

ところで、まわりの石垣は崩壊したが、あの一本の石積で櫓を支えている石垣はまだ残っているのか(夕方のテレビニュースではまだ持っている)。

武者返しで堅牢な石垣は「清正流」と言われていたが、明治には取り壊しにも遇い積み替え工事をやっていたという。

今回はあの堅牢と言われていた石垣が崩れた。関東大震災の時には震源域に近い小田原城の石垣も崩れたのだから地震の規模の大きさが分かる。

石垣も堅牢と言っても合戦時の攻めに対してで、地震には弱い。

ところで、加藤清正といえば、東京/大田区池上の池上本門寺にも石段を寄進している。96段で此径難持坂といい、一部修復されているが祖型はほぼ残したままで貴重な石造遺構と言われている。

加藤清正が寄進したという石段
今も祖型はのこしたままだ。
東京・大田区 池上本門寺にて
熊本城は天守閣や櫓など歴史的建造物を残すことも大事だろうが清正の石積みである石垣を残すことに意義があるのではないか。



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