2016年4月3日日曜日

内需拡大、持続的成長に:米国型グローバリズムを止め、日本式経営を取り戻せ

日本のみならず各国で内需拡大、持続的成長が喫緊の政策課題なっているが、まずは、米国式のグローバリズムを止め、日本式経営を取り戻すべきではないか。

海外の著名なノーベル賞経済学賞受賞者を国際金融経済分析会合にまねき、伊勢志摩サミットに向け消費税増税の是非、世界経済での持続的成長への政策提言が必要になっているが、ステイグリッツ教授は近著で「アメリカ型グローバリズムを許すな!アメリカ経済は大多数の人のために機能していない」、「ルールや制度を見直すべきだ」と提言する。

米国では1%の富裕層が益し、中間層が貧に迫ばまれており、経済停滞を招いているから現行の制度やルールを見直せというのだ(ステイグリッツ著「これから始まる新しい世界経済の教科書」 徳間書店 2016.2)。

それによると、①金融システムの不備で最上層の1%が増収だが残りは伸びていない、②格差は高水準、機会均等は低水準、③経済ルールの不備で企業の力や短期的収益を優先しており、これらのルールが経済を弱めている、④不平等が拡大し、ルールを変えなければ賃金停滞、成長は鈍化、⑤経済ルールを書き換え経済の実効性を向上させようというのだ。

そのルールとは、規制、法、社会規範、財産権、契約、企業行動、労使関係、金融市場、公共政策、課税、公共投資、金融政策と多義にわたる。

富裕層ばかりでなく、あらゆる人のために働くルールに書き換え、それによって非効率、利権の衝突を取り除き新たな政策を考え直すというのだ。

アメリカのルールだから分からないが、昔はアメリカンドリームなどと言って憧れた物だが、今はそんな望みなどないようだ。

確かに一時、否今でも? アメリカナイズされた米国でMBAを取得した経営者、株主還元を優先する経営者がメデイアで優秀な経営者と評価された。実力主義ではじかれる労働者が続出、労働組合は弱体化した。一方で経営者はストックオプションなどを導入し自らの利益の増収を図った。

固定費に占める人件費削減のために従業員は景気の調整弁になり下がった。

小泉内閣の時は、アメリカかぶれした竹中平蔵という人間が、規制改革に辣腕を振るったが、良き習慣だった日本式経営は葬り去られた。

○○一家、終身雇用、年功序列は崩れ、実力主義、アウトソーシング、非正規労働者、○○部屋と称しての退職勧誘はいまでもやっているらしい。

竹中さんは今はパソナという派遣業会社の会長で派遣業界のために活動しているらしい。

そんな状態だから、アベノミクスの成果を出すために狙った企業の儲けを家計へ再分配するトリクルダウン経済学は失敗だ。著名な経済学者はそんなの見たこともないという。ステイグリッツ教授は寧ろトリクルアップで補い合えという。

円安、株高で企業はそれなりに儲けたが、内部留保に努め、家計の増収にはつながらなかった。経営者は普段は増収増益を主張して自らの経営力をPRするが、ベースアップ交渉時になると、「先行き不透明」と言って渋る。

今春の官製春闘でも同じ光景が見られた。

ステイグリッツ教授は、70年代は成長はしたが、4回の景気後退で分け前は最上層に集中し、多くの人は伸び悩み中流層は空洞化したというし、80年代は短期的な利潤追求、株主利益を優先するコーポレートガバナンスが蔓延ったという。

確かに短期的利益追求は今でも株式売買で見られる。経済指標、経済情報の変化を察知し一瞬でコンピューターが取引するのだからたまった物ではない。株価の乱高下は日常茶飯事だ。

昔の株主は企業を育てる目的で長期に株を保有したものだ。しかし、海外の投資家が増えるに従って日本式の株投資は通用しなくなった。

安倍総理はアベノミクスの評価の指標を株価に求めているようだが、株価は欧州や米国の経済、中国の経済減速、産油国事情で大きく変動し、アベノミクスなど通用しない。年金基金で株価操作をしようとしたが失敗は当然だ。

FRBの金融政策も批判している。早い時期に金利を上げたのは失敗だという。FRBは完全雇用、生産、金融の安定性を犠牲にして低インフレを重視した。物価の安定を優先したために労働市場は低迷、低賃金労働者の失業率が悪化した。
完全雇用を優先しろというのだ。

金融政策も限定的で経済を刺激しないというのが定説だ。

やっぱり華やかに見られたアメリカ型グローバリズムも限界で、持続的成長に向け中流層以下が利するルール、制度の見直しがアメリカでは要求されているようだ。

我が国では、日本式経営を取り戻すべきではないか。以前、大企業で首切りが大っぴらに実施されていたとき、日本式経営を貫こうとする中小企業の経営者が「大企業ももっと持ちこたえろ」と訴えたことがある。

そして、規制改革を御旗に大企業、富裕層優先の制度、ルールを我が国も見直すべきだ。富裕層以外の人たちも恩恵を受けるシステムを構築すれば内需拡大、持続的成長路線に向けることが出来るのではないか。

年金も怪しくなってきた。海外では25%まで株式投資していると言うことで我が国も習ったが、10兆円に近い多額の損失を出してしまった。一時は利益も出たが長い目で見ればまずかったのではないか。

そのほかの制度も「海外ではこうだから」という理由で改革を進めているが、為政者の都合の良いようにしているだけで「国民のためにはなっていない」例が多いのではないか。国会審議での野党の追求はそこにある。

ところで経済はどこで間違ったのか。

ここ80年間の苦境で経済学者の評価は地に落ちたと言う。2009年、クルーグマンは「経済学は良く言っても見事なまでに役立たず、悪くすると甚だ有害」とまで言った。

ほとんどの経済学者は今回の危機に手を貸し危機を察知できなかった。警告を発した学者はいたが、ほとんどの学者は不意打ちを食ったのだ。その要因に専門領域の「たこつぼ化」がある。余りにも専門化しすぎて使えるツール、想像力に限界が生じていた。そして、新たな研究として、「どういった財政刺激策が最も有効か」、「金利ゼロの時の金融政策をどのように緩和すればいいか」が金融経済学者の課題なのだという(「英エコノミスト誌のいまどき経済学」 日本経済新聞社 2014.10)。

確かに今回の危機は経済学者、金融経済学者にとっては試練だった。


経済学は海外からの学説の輸入、日本独自の経済学はない。そこに隙間が出来日本的経営の良さ(?)が蝕まれていった。しかし、昔企業を興した企業家は教訓を放っているはずだ。そういった教訓を生かさなければならないのでは。



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2016.3.26掲載
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