国の行方を決める選挙と言うが、このまま自民で、安倍政権で良いのか。「安定政権、強い政権」を求めれば自民で仕方ないが、「安倍さんではイヤだ」という。問題は国会での与野党のバランスだ。小選挙区比例代表制ではどうしても一党に議席数が集まるが、小選挙区を自民候補者に書いても比例区は他の党にすべきだ。
メデイアの情報分析では自公300越え、希望失速、立憲伸ばすという。比例区投票でも自民党が32%、立憲17%と自民断トツの強みだ。市場も期待をにじませ日経平均は21457円と57年ぶりの高値を付けた。
安倍自民党は北朝鮮の挑発行為、少子高齢化などを「国難」と恐怖を利用し自分たちの政策、考え方を国民に押しつけようとしている。
国の行方を問うよりも「モリカケ」疑惑封印、野党がゴタゴタし態勢が整わない内の解散で野党壊滅作戦に出た。案の定、希望の党は自滅、代わりに枝野さんの立憲民主が勢いを増してきたが、候補者不足で大きくは伸びないが野党第一党を伺う。
こんな状況だが、丁度マックス・ウェーバーの「国家」を記述した「西洋の終わり」(ビル・エモット 日本経済新聞社 2017.7)を読むところだった。
マックス・ウェーバーは「国家とは与えられた領域で暴力の正当な行使を独占する主体」と定義しているという。
「暴力」とは国際紛争、内紛での力の行使を考えるのだろうが、ここでは国会内での数の力でごり押しすることも一種の暴力ではないか。そして多くの国民が憲法改正を戦争の出来る国にしようとしていると見ている。
「正当な」とは、「善意の」「立派な」「民衆の」「憲法に基づく」というのが本来の意味だろうが西欧では言えてもロシア、中国では言えないことだが(同上)、日本でも安倍政権にあっては当てはまらないのではないか。
寧ろ、「受け入れられている」「太刀打ちするものがない」(同上)と考えると自民党に多数の議席を与える結果だ。自公に300超の議席を与えることが安倍政権に好き勝手なことを許す結果になるのだ。
安倍自民党に「白紙委任」(小池)することなく、国の行方をしっかり考える大事な選挙が今回の衆院選なのだ。
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