2011年8月22日月曜日

三陸大津波:寺田寅彦随筆「津浪と人間」は、今も警告する



寺田寅彦博士の随筆は何時読んでも新鮮だ。今回「地震雑感 津浪と人間」が文庫本となり出版されたので購読した。その中の随筆「津浪と人間」は1933年の昭和三陸地震にあっての随筆で、今も十分に警告に値する内容のモノだ。

博士は、昭和三陸地震は、37年前の明治三陸地震による「三陸大津浪」と同様の自然現象が再び繰り返したのだと指摘する。過去に何遍も繰り返し、未来においても繰り返されるという。

今回の東北地方太平洋沖地震は、余りにも巨大な地震だったためか、大きな余震が続いている。予効変動もあって続く大地震が心配されているが、37年ごとにM7~8を繰り返し、30年以内に99%の確率と言われている宮城県沖地震の震源とは違うらしい。そうなると続く巨大地震、巨大津波の来襲は避けられない。

更に、気仙沼では10m以上の巨大津浪が1000年に1回の頻度で繰り返していることが、北大平川特任教授の調査で分ったという。今回の大津波も何ら「想定外」の規模ではなく、同規模の自然現象の繰り返しになるのだ。

ところで、この博士の随筆を読むと、80年前に、いまでも十分に通用する警告をしているのだ。

今、震災復興計画が進められている。住居を高台に移転する計画があるが、農地の関係で時間がかかるらしい。それこそ政治の力で何とかなると思うのだけれども、数ヶ月はかかるらしい。また高台に平地を確保するのも大変だという。

これ程巨大な津波被害を繰り返しながら、海岸近くの平地に街が出来た原因は何か分らないが、博士は見抜いていた。

曰く、津波に懲りて、はじめは高いところだけに住居を移していても、五年経ち、十年経ち、十五年、二十年と立つ間には、やはり何時ともなく低い所を求めて人口は移っていくであろう。そして運命の日が忍びやかに近づくと言う。

そこで、国の法令によって、恒久的な対策を設けることが出来ないかと考えるが、国は永続しても、政府の役人は入れ替わる。役人も変わるたびに法令も変わる畏れがある。その法令が不便なモノである場合は尚更だと指摘している。

政党内閣などというものの世の中だと尚更だとも言う。言い当てて妙なモノだ。

災害による警告記念碑を建てても、はじめは目の付きやすい所に立てるが、道路改修や地域開発であちこちに移され、山陰に埋もれないとも限らないと指摘する。

被災地には、記念碑として「これより下には家をたてるな」という内容の碑が立っていて、守った人は災害をのがれ、無視した人は災害にあったという。大きく明暗を分けることになった。

「自然」は、過去の習慣に忠実で、頑固に執念深くやってくるのだ。6000年の間に6回の繰り返しているのが、その証拠だ。自然ほど伝統に忠実なモノは無いとも言い切った。

一方、安全を無視すると、地震や津浪から災害を製造する原動力にもなると警告している。今回の地震、津波による福島第一原発事故による放射能被害は、巨大技術の恐ろしさを目の当たりにし、今もその被害に苦しんでいる。

そして、津浪の畏れのあるのは、三陸沿岸だけに限らない。太平洋沿岸を襲う大掛かりなモノがいつかは、また繰り返されるのだという。それは何時だか分らないが、来ることは来ると言うことは確かだと言い、その時は日本の大都市が将棋倒しのように倒される「非常時」なのだという。

少数の学者や博士のような心配性の学者が警告を与えてみたところで、国民一般も、政府の当局者も決して問題にしない。これが人間界の自然法則のように見えると言う。一度天災に襲われるときれいに諦める。そして滅亡するか復興するかはただその時の偶然の運命に任せるという事にする他はないという捨て鉢の哲学も可能だという。

今まで何回も津浪被害に遭いながら、どのようにして、いままで復旧、復興してきたのか分らないが、今回も力強く復旧できるのだろう。

最後に博士は、日本国民のこれら災害に関する基礎知識の水準を高めることが出来れば、その時初めて天災の予防が可能であるように思えると言い、「教育」の重要さを主張する。

津浪高さ6m、8mの対策は、巨大な防潮堤、避難場所の確保で対応を考えてきたが、これからは10m以上の津浪にどう対応するかだ。

寺田寅彦博士の警告は、今も十分に通用するし、何時読んでも新鮮さを感じる。

写真:6000年に6回三陸地方を大津浪が襲ったと報じる 読売新聞2011.8.22。文庫本は「地震雑感/津浪と人間  千葉編 中央公論新社 2011.7.25

0 件のコメント: