2012年7月16日月曜日

世界文化遺産登録推薦へ:富岡製糸場の「木骨レンガ造」は見事だ


富岡製糸場

地元念願の旧官営富岡製糸場の世界文化遺産登録へ向けた一歩が踏み出された。「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界文化遺産に推薦が決まったという。順調にいけば2014年夏に登録の可否が決まるらしい(読売新聞2012.7.13)。

今から約140年前の明治5年、殖産興業を掲げた政府は、養蚕が盛んで製糸に必要な水が確保でき、燃料が近くで取れ、広い敷地も確保できる条件に合ったこの群馬県富岡市に、フランス人の指導で官営富岡製糸場(器械製糸工場)を建設した。

全国から若い女性が技術伝習生として集められ、技術習得後はそれぞれの地元で技術指導者として活躍したそうだ。

この富岡製糸場も民間企業に払い出され、最後は片倉工業が昭和62年に操業を停止するまで115年間活躍した。

施設群はこの富岡製糸場はじめ日本全国から繭を集める為の碓氷峠鉄道施設、全国標準の養蚕法を創造した高山社発祥の地、冷凍施設としての荒船風穴など10施設が絹産業遺産群となっているが、今回は4施設で構成されるらしい。

私も歴史的建造物に興味があって、何回も見学に来た。最近有料になり1500円見学料がかかる。

木骨レンガ積み
何よりも興味を引くのは、正面に見える東繭倉庫だ。1階は検量所、作業所で、2階が繭の貯蔵に使われていた。構造は「木骨レンガ造り」で木の骨組みと西洋レンガ積み技法だ。

工場内は、当時としては珍しい「トラス構造」で、邪魔な柱はなく広い作業場が確保されている。

建設材料も、この近辺で手に入る物が使われている。

骨組みに使われた木は妙義山の2~300年ものの杉が使われた。真ん中の赤身を使っているから水を吸い上げる導管もなく固くしまっている。今も木の部分はペンキの塗り替えだけで、交換したことはないらしい。鉄は錆びるが木はそんなことはない。

工場内は柱を省き、広さを確保している
漆喰は、近くの青倉で取れる。今でも石灰を生産している。

レンガも近くで焼いたという。埼玉県の深谷から瓦職人を連れて来て、技術を教えレンガを初めて作ったのだそうだ。あの渋沢栄一も一役買ったらしい。レンガ積みも壊れている箇所は見られない。

兎に角、いつ見てもその姿は美しい。

バラバラに散在する施設群、富岡製糸場と切っても切れない施設として「くず糸」を再生する「旧新町くず糸紡績所」(高崎市)があるが、カネボウから系列の食品会社へ渡り、今私有財産のようになっている。一度見学しようと訪問したが守衛で断られた。それぞれ自治体によってはその取り組みに温度差があるのだろう。

140年前に、どうしてこんな場所に日本の近代化を目指す産業を起こしていったのか。疑問に思うことだろうが、施設を見学し当時の写真を見ることにより納得がいくかもしれない。全国からどのようにして繭を集めたか。そして製品をどのようにして横浜に運んだか。今の発展した交通機関と関連して当時を知ることができる。

世界遺産登録に向け推薦されたから見学するのではなく、日本の近代化に向けた施設として注目すべきではないか。

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