2012年7月7日土曜日

東電・原発事故、JR福知山線脱線事故:経営トップに高度の安全注意義務を課せ


業務上過失致死罪

多くの犠牲者を出したJR福知山線脱線事故、そして東電・福島第一原発の取り返しのつかない放射能汚染事故では経営トップの高度の安全注意義務が問われている。しかし罪状の構成要件には大きな壁があり、犠牲者の要求通りにはいっていない。高速交通機関による危険、原発という巨大技術による危険を防止するためには、経営トップに高度の安全注意義務を問うべきではないか。

共通することは、経営トップに国民の身体、生命の安全を確保する高度の注意義務があるかどうか、経営トップの日常業務に安全確保があるかどうかではないか。

JR福知山線脱線事故では、歴代の4人の社長が業務上過失致死傷罪で責任追及され、1人は無罪だったが、3人は強制起訴されている。

カーブの半径を半減し、ダイヤ改正で増便したことが「事故発生の可能性を高めた」というのだ。JR西日本の経営体質が「安全対策を後手にしている」と指摘されている。

しかし、「経営トップだからという訳で責任の認定はできない」という。これが法曹界の通説なのだ。

東電・福島原発事故も、巨大地震→巨大津波→総電源喪失→メルトダウンの過程で甚大な放射能漏出、汚染事故を拡大している。政府は冷温化を宣言しているが、建物や装置の無残な姿を見ると大崩落、高濃度放射能排出の危険は依然として残っている。

東電は、地震の事故調査で天災、想定外、官邸の異常介入などを理由に被害者意識が強く、責任回避の考えだ。ところが先に報告された国会事故調の報告書では国、東電による「人災」と言い放った。東電の思考は総崩れになった。

社内の検討会とは言うが、想定を超える津波の発生が予想されていたし、防潮堤のかさ上げに80億円という工事費も算出されていた。実際に巨大事故が発生しその対策、賠償金、莫大な金額の注入を考えると、80億円は何とちっぽけな金額だったことか。

安全対策を先送りし、80億円をケチったために、天井知らずの資金を国に頼らなければならなくなり、事実上の倒産だ。経営陣はどう考えているのか。

法での罪状構成要件は、一般人に要求される注意義務(予見義務)、業務上必要なる注意を怠るなどが挙げられる。実際に業務にあたっている管理者、行為者の責任を追及することは難しくはないが、経営トップになると経営者の日常業務に安全確保、予見の可能性があったかどうかが問題になり、責任追及の壁になっているのではないか。

行為主体が義務者であり、義務者は認識の範囲が広く、また認識が確実であるから非難されるが、業務者が事実上常に認識の範囲が広く、確実だとは言えないこともあるのだ。しかし、義務のある人は、認識の範囲が広く、また認識が確実であるべきなのだ(法律書から抜粋)。

特に業務上とは、社会生活上の地位に基づき反復継続的に行う行為で、本務か兼務かは問わない。人の生命、身体に危害を生じさせる恐れのある危険な業務に従事する者は、危害を防止する一斎の注意をなす義務があると判例は言う。

では、中間管理者、直接の行為者の罪状を追求するだけで企業の安全義務を達成できると思っているのか。否だろう。

中小企業では、直接社長が行為者として業務に関係しているから刑法の罪状構成要件に該当しやすいが、巨大企業での経営トップは企業の利益確保が主な仕事だろう。利益の極大化を求めて判断することになる。

しかし、そこが問題なのだ。

経営トップにこそ、業務上の安全注意義務を課すべきで、そうしなければ企業の安全確保は覚束ない。

どうしても安全確保は中間管理職、直接の行為者の責任になりがちであるが、彼らが経営の席上で安全確保の提案し認められるのか。下から上がってきた安全確保の提案も中間管理職の段階で取り上げられるか、却下されるかのどちらかだ。

経営トップの日常業務に、自社の安全注意義務を課せなければ交通機関の脱線事故による大参事、巨大技術である原発の大参事は防止できない。

大事故が発生しても、いつも中間管理職、行為者が責任を取り、経営者は難を逃れていることは絶対に避けなければならない。

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