12日は新聞休刊日、新聞受けに入っていなかったので思い出した。一日の生活の始まるリズムが乱され、物足りない感じがするが寺田寅彦博士が言うように、毎日急いで知らなければならないニュースがあるのかと言うことだ。
私の日課も朝5時に新聞を読むことから始まる。新聞を読んでいる間にブログに書く記事のタイトルをピンと思いつくが、なかなか思いつかない時もある。そういうときは憂鬱だ。
こんな生活だから新聞の休刊日は調子が狂ってくる。でも何やら「ホッ」とするのだ。
安倍政権の悪事、官僚の忖度、相変わらずの骨太の方針や成長戦略、海外ではEU、IS国のテロニュース、そして毎日新しく発生する殺人事件とうっとうしいニュースばかりでいやになる。
子どもが絡む事件にはやるせない。子育て、教育の必要性が叫ばれているが「子ども食堂」、子どもを抱えての歌舞伎町でもシングルマザーの仕事などのテレビ
ニュースが流れると何とかしなければと思う。
新聞休刊日はラジオだ。ゴチャゴチャした報道はしないので後はリスナーがどう感じ判断するかだが、この方が頭が働く。
テレビも放送休刊日があっても良いのではないか。どの局の報道番組、情報番組の同じ内容だ。なにも今日報道しなくても困らないのだ。違うのはドラマや特集番組、タレントを集めてのどんちゃん騒ぎ、テレビ局もこの分野で特異性を出そうとするが視聴率が取れなくて苦戦している。
そこで思い出すのが寺田寅彦博士の随筆だ。確か休刊日のことが載っていたと思って探したら「寺田寅彦随筆集 第二巻 「1つの思考実験」」が見つかった。
大正11年の随筆だが今も通用する新鮮さがある。
寺田寅彦博士は言う。今の世の中、自覚的/無自覚的に感じる不幸や不安の原因のかなりの部分が新聞の存在と直接関係を持っている言い、日刊新聞を全廃する事でこの世の中はもう少し住み心地がよくなるが、不便も感じるだろうという。
でも、1日も早くあったニュースを知る必要があるのか。記事の信憑性、罪悪の記事、良いことが抜けている欠陥を脱却して非常に理想的に出来たとしても日刊新聞によって朝夕に知ることがどれだけ必要かどうかが問題なのだと指摘する。
だから全廃したらと言う事なのだが、その代わりに週刊、旬刊、月刊の刊行物に頼ることにしてはどうかという。
確かにそうだ。今の大メデイアの政権批判は週刊誌に劣る。政権の悪事は週刊誌の報道で掘り起こされている。東京地検特捜部も週刊誌の編集者に負けている。
丁度、今月が読売新聞の購読契約の更新で勧誘員がきた。「今月で止める」と言ったら不審そうに「何かあったのか」と聞く。「御用新聞に成り下がった読売新聞はいやなのだ」と言ってやった。勧誘員は頭を下げて去って行った。
安倍総理の憲法改正インタビュー記事、前川・前文科省次官の出会い系バー通いのリーク記事は許せないのだ。
今日の新聞休刊日をテレビも消してラジオでニュースを考えることにした。
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