2009年10月9日金曜日

世界遺産登録をめざす富岡製糸場の「木骨レンガ積み」は、とにかく美しい







今から137年前の明治5年、殖産興業を掲げた政府は、養蚕が盛んで、製糸に必要な水が確保でき、燃料が近くで取れ広い敷地も確保できる条件に合ったこの群馬県富岡市に、フランス人の指導で官営富岡製糸場(器械製紙工場)を建設した。
 全国から若い女性が技術伝習生として集められ、技術習得後はそれぞれの地元で技術指導者として活躍したそうだ。
 この富岡製糸場も民間企業に払い出され、最後は片倉工業が昭和62年に操業を停止するまで115年間活躍した。
 そして今、近代工業発祥の地として世界遺産暫定リストに記載され、登録に向けた作業が今年始まった。施設はこの富岡製糸場はじめ日本全国から繭を集める為の碓氷峠鉄道施設、全国標準の養蚕法を創造した高山社発祥の地、冷凍施設としての荒船風穴など10施設が絹産業遺産群となっている。

 見学者は平日でも1日300人、休日になると1000人にもなり、年間37万人が見学に訪れている。ボランテイアによるガイドツアーも1日6回実施されている。

 10月4日から11月3日までの一ヶ月間、群馬県とセブンーイレブンが地域活性化のため応援フェアー実施中だ。

 私も建物に興味があって、今日で8回目の見学だ。最近有料になり1人500円見学量がかかる。

 何よりも興味を引くのは、正面に見える東繭倉庫だ。1階は検量所、作業所で、2階が繭の貯蔵に使われていた。構造は「木骨レンガ造り」で木の骨組みと西洋レンガ積み技法だ。
すべて近くで入手できる材料を使っている。

 骨組みに使われた木は、妙義山の杉が使われた。2~300年もので、真ん中の赤身をつかっているから水を吸い上げる導管もなく固くしまっている。今も木の部分はペンキの塗り替えだけで、交換したことはないらしい。鉄は錆びるが、木はそんなことはない。

 漆喰は、近くの青倉で取れる。今でも石灰を生産している。

 レンガも近くで焼いたという。埼玉県の深谷から瓦職人を連れてきて、技術を教えレンガを初めて作ったのだそうだ。あの渋沢栄一も一役買ったらしい。レンガ積みも壊れている箇所はみうけられない。

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