2015年1月31日土曜日

ペルー天文学の父・石塚睦博士:忘れてはならない世界に散らばる知られざる日本人

世界には知られざる優秀な日本人が散らばっているのだ。30日のテレビ朝日「こんなところに日本人 4600m南米アンデスに渡った85歳のペルー天文学の父」石塚睦博士を訪ねた俳優のモト冬樹さんのレポートに感銘を受けた。

85歳の石塚博士は1957年、京都大学大学院の時、太陽コロナ観測所建設のためにペルーに渡り58年、高度4600mのワンカイヨに宇宙電波観測所を建設、今、天文学を専攻する息子さんが跡を継いでいる。日本に帰らずペルーで天文学の基礎を築いた功績は大きい。

その博士を訪ねてモト冬樹さんが南米ペルーに向かい、博士からいろんなことを聞き出すのだが、これが面白い。

飛行機とバスを乗り継いでワンカイヨ村で日本人を探すのだ。途中高山病予防薬を買うのだが気付け薬のような臭いがする薬をこめかみに塗るのが効くはずがない。

ワイカイヨに着いて番組の常套手段である「日本人を知っているか」と通りがかりの人に聞く。「知ってるよ」という人に会うと名前と行き方をたずねるのだ。地図に書いてくれて歩いて15分というのでモト冬樹さんは歩き始めるが家らしい物はない。1時間以上歩いてやっと警備員らしい人のいる建物に着く。ペルーの人は歩く速度が速いのかと嫌みを言う。

警備員に案内されて日本人のいる建物に着く。日本人は一瞬驚くが訪問の理由を知り家に招き入れてくれた(恐らく打ち合わせは出来てのことだろう)。

日本人はホセ・石塚さんと言って2世らしい。天文学が専門で観測所の所長だ。家族はリマにいて単身赴任という。観測所も案内され32mのパラボラアンテナが見える。何を研究しているのかと問うと「星や地球の生い立ち、起源を研究している」という。

願いが叶って家族のいるリマを訪れることになった。お父さん、お母さんに奥様が一緒らしい。

モト冬樹さんの質問にお父様が答えてくれたが、これがおもしろい。

京都大学で宇宙物理を専攻されたが、ボート漕ぎが趣味で願書に地球物理と思っていたら、隣に宇宙物理が書いてありおもしろそうなのでこっちにしたらしい。「何故、太陽の研究か」と聞くと、星だと夜の研究になるが太陽だと昼間の研究だからと言う。

「ペルーに来たのは」と問うと、大学院時代に観測所を作る話が出たとき、国内では既に乗鞍にコロナ研究所を東大が建設していたので海外と言うことになり、「ボートを漕いでいた石塚がどうか」と言うことになったようだ。当時結婚していたので家族でペルーに渡ったという。

建設場所を探しにペルー中を旅して、埃が少なく、晴天の多いワンカイヨ村を選んだそうだ。場所が決まり22年の歳月が過ぎ観測所が完成日本からも関係者がきて開所を祝ったようだ。

ここでチョット番組内容からそれるが、今、チリのアタカマ高原(高度5000m)にALMAという世界最高地点の天文台が建設され東大の赤外線望遠鏡など最大級の電波望遠鏡が設置され「生命の起源」などの研究を行っている。乾燥地帯なので赤外線や電波が吸収されず最適地であるらしい。今は国立天文台からの30人を含め総勢200人が研究している。

何でペルーのワンカイヨでなかったのかと不思議に思うが、東大と京大の学閥があったのか。

ところが折角開所した観測所だったが、政情不安でテロに襲撃され一時逃げたという。赤外線装置を提供するよう強要されたが、殺人に使われると言うことで拒否したがダイナマイトで爆破された。

石塚博士にとっては相当のショックだったようだ。その話をするときはしばらくの無言が続いた。

でも、負けてはいられない。各方面に協力を要請し再建に取りかかったのだ。

モト冬樹さんが「日本へ帰ろうと思わなかったか」と聞くと「仕事が終了していないので帰ろうとは思わなかった」という。強い意志を持っている。

「ペルーに何を残したか」という意味の質問をしたら、「天文学を継いでくれる息子を残すことが出来た」と喜んでいる。

奥様に「大変だったんですね」と聞くと、「もうわすれました」という返事が返ってきたのには驚いた。

ご主人がペルーに天文学の基礎を築き、息子さんがその意志を継いで研究している姿に昔の苦労などすっ飛んでいるのだろう。

知られざる苦労も乗り越えて世界各地に散っている日本人の偉大さを垣間見ることが出来た。

番組のコメンテーターも絶賛していた。そしてチョットしたことが人生を変えることに驚いた番組だった。

メモもせず、記憶に頼って記事にしたので不正確なところもあるだろうが概ね以上の内容だった。


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