2015年1月23日金曜日

八ッ場ダム本体工事始まる:政権に翻弄され2度の反対運動を経て

ダム本体工事が始まる現場
2014.5.26撮影
政権に翻弄され2度の反対運動を経て八ッ場ダムの本体であるダム工事が始まった。1953年建設計画が持ち上がってから住民を2分する激しい反対運動を当時のニュースで知ることが出来るが、2009年民主党鳩山政権で凍結方針が出ると今度は凍結反対運動だ。当初は建設反対し、今度は凍結反対で建設推進を訴える奇妙な反対運動を経験した。

その八ッ場ダムのダム本体工事の準備作業が21日始まった(東京新聞Web版 2015.1.21)。

2010年春、川原湯温泉、八ッ場ダム関連工事を見に行った時には温泉街にある唯一の食堂でラーメンを食べたが、そこのご主人に「反対運動はどうなっているんですか」と聞くと「どっちの反対運動ですか」と問い直してきた。そうなんだ。ここでの反対運動は「当初の建設反対運動」か、「凍結反対運動」かの2つがあるのだ。

「ここまでやって、政権が変わり「コンクリートから人へ」になって凍結されては迷惑この上ない」ということになるのだ。政治に翻弄された60年の八ッ場ダムの歴史なのだ。

何故か選挙では争点を避けた。先の参院選では民主党候補の富岡さんは何ら言及せず、自民党候補の中曽根さんは建設続行を主張し当選。民主党は全国区に元知事の小寺さんを擁立したが小寺さんは八ッ場ダム建設推進派だった。反対運動にかかわった住民は「困るンよね。小寺さんもよく知っているから」と困惑顔だった。

親子、親戚間でも対立する激し反対運動だったが1980年に代替地造成による現地再建が提案され、1992年に町が基本協定を結び生活再建が優先する計画になったが4度も変更され完成時期も2000年から2015年、そして今回2019年が決まった。

その間総事業費は2110億円から驚くことに4600億円に増額、今回のダム本体工事費が342億円だとするとほとんどの事業費はダム本体工事外の生活再建関連になる。

長引く工事は川原湯温泉の旅館の廃業、人口流出が相次いだ。それでも2009年には「中止したらどうなるか」と言う問に国土交通省は「工事継続より800億円高く付く」と回答したこともある。どんな計算か知らないが疑ってかかるべきだ。

政権も乱れた。2009年に民主党鳩山政権は「凍結宣言」したが、2011年再検証の結果、建設継続を打ち出し2013年作業が再開され昨年2014年11月に川の仮締め切り工事、国道145号の閉鎖が決まり工事専用道路となり今に至っている。

10年前から八ッ場ダムの本体工事に興味を持ち川原湯温泉に通っていたが、住居を東京に移してからは行く機会が減ったが、久しぶりに2014年の5月25日に訪ねた。

ダム本体工事現場には業者の現場事務所が建ち、測量などの準備作業をやっているようだった。30人ほどのツアー客を引率する案内人は「建設反対、自然を守れ」と訴えていた。

ダム湖に沈む吾妻渓谷
一番の見所
吾妻渓谷の一番の見所である瀧見橋周辺は「通行止め」になり、もうあの景色は見られない。向かいの散策道にも入れないようになっていた。

JR川原湯温泉駅近くには湖面1号橋(八ッ場大橋)が建設され、桁の高さは74m、標高583mに表示されている。ここが満水時の水位なのだ。 見上げると結構高い。

橋脚の立っているところは、以前茅葺き屋根で水車も回っていた食事処「ふるさと」のあったところだ。「胸が痛む思いで閉店」という紙が前に来たときに張ってあった。「ここは橋が立つので撤退しなければならないが、未だはっきり代替地の計画も決まっていないので何とも言えない」と今後について話していたのを思い出す。

温泉街に入っていくと土産店は撤去され基礎だけが残っていた。郵便局も営業をやっていたが新聞報道によると最近それも撤退したらしい。川原湯温泉の中心地の柏屋、高田屋など数軒の旅館が建っていた場所は建物も撤去され基礎部だけが残り、駐車場に利用されていた。

山水館向かいの崖に586mの標識
この下3mが満水位になる
2006.11.25撮影
考えてみれば急峻な崖地にピーク時は30軒ばかりの温泉旅館が建っていたのだ。そして周りは崖崩れの跡や落石防止ネットが張り巡らされている。「よくも建物毎崩壊しなかったものだ」と驚くばかりだ。

こういったひなびた川原湯温泉のイメージが、ダムが完成し満水になり湖畔の温泉地になるとイメージが大きく違ってくるが、川原湯温泉ファンの人はどう考えるか。

露天風呂の「聖天様」も前年の6月30日に閉鎖されていた。今やっていたのは公衆浴場の「玉湯」と足湯だ。露天風呂はバイクで旅する若者達に人気があったようだ。湯質もきれいで「後の人のためにきれいに使いましょう」と注意書きがしてあった。

足湯では以前に温泉タマゴを作っている年配の男性に会った事がある。スーパーからタマゴを買って来てここで温泉に浸けて作っていた。「そんなにたくさんどうするんですか」と聞くと、「近所に分けるんです。喜ばれますよ」と言った。

温泉街の一番高いところ付近にお墓があった。ここでも年配の男性に会い、「墓参りですか」と聞くと「これが家の墓です」、「民主党政権で工事凍結が発表されたがどうなるんですかね」と聞いてきた。「別に墓地も買っているけれど工事が凍結であれば動かす必要はないのですが」と困惑気味だったが、その後訪ねたときはお墓も移転していた。

代替地工事が進む
川原畑地区から打越地区を望む
2009.10.21
高台の代替地である打越に言ってみた。相当立派な家が建っている。棟数も増えてきたが区画や道路整備がまだ十分ではない。観光客に有名だった土産物店の「お福&まるきや」も営業していたし「玉湯」も 湖近く(?)の移転先が完成しているように見えた。

新築の家と続きで畑もあり作業している人もいた。宅地と畑では分譲価格(?)も違うだろうがどう評価されているのか。あたりを見ても畑地は少ない。田んぼなんて見られない。これでは農業で生計を立てている人たちはどうするんだろうと疑問が出てきた。

代替地の打越地区、川原畑地区を見るとまず神社、お墓が移転してくるのだ。

不動大橋から湖底に沈む下流を望む
2014.5.26撮影
一時有名になった湖面2号橋(不動大橋)を渡り「道の駅 八ッ場ふるさと館」によった。ここは生活再建事業の一つのようだ。終車場も一杯で繁盛しているようだ。不動大橋から下流を見渡してみる。畑など農地、国道、JRは湖底に沈んでしまうのだ。

一時はどうなるんだろうと心配していたが、国の計画通り八ッ場ダム建設、生活再建事業は進んでいるのだ。

でも、難題は残したままだ。

まず、八ッ場ダムの意義が薄くなっていることだ。利水、治水と言うが節水も進み「水余り」の状況が出ているし、カスリーン台風の被害から治水が重要視されてきたがその効果に疑問が出ているのだ。

そもそも60年前の計画を屁理屈を付けながら事業を継続する国土交通省の姿勢が可笑しい。完成後の維持管理も含めて大きな利権があるのだ。

しかし、専門家も指摘する地滑りの危険は拭えない。打越代替地の後ろの山、沢を見ると至る所に砂防ダムが設置されているし、盛り土部分も多い。最近豪雨で斜面が崩れ駅まで泥流が押し寄せた事がある。

心配なのは奈良県の大滝ダムを思い出す。ダムが完成し試験的に水をためていたら周辺で地割れが発生し住民が避難した例がある。専門家が計画時から指摘していた事でもあり事業者の無責任さがうかがえる。八ッ場ダムもその危険があるのだ。

そして巨大な維持管理費をどう捻出するのか。恐らく税金での持ち出しだろうが役人の安易な天下りは許せない。

更に新しい川原湯温泉としてどういうイメージ作りをするのか。ひなびた温泉地から湖畔の温泉地になるが、近くには有名な草津温泉も控え競争も激しくなる。温泉旅館ばかりでなく娯楽施設も必要になるが積極的に投資する意欲が出るか。代替地には旅館の建設予定地表示されている。

不安だらけの八ッ場ダム建設工事は最終章を迎えたのだ。

吾妻渓谷に設置されている「自然を大切にしましょう」の看板にむなしさを感じるのだ。


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