2017年4月3日月曜日

予見可能性;普段は気がつかないが一旦大事故になるとクローズアップされる

一旦大事故でも起きるとクローズアップされる予見可能性だが、普段もやって事故防止に努めているのだが気がつかないだけなのだ。狭い道を子どもを連れて歩いている時に後ろから来る自転車、車に気をつけて「車が来るよ」「自転車が来るよ」と注意して右に寄せる行為も事故に巻き込まれる「予見可能性」があってのことなのだ。

ところが、一旦大事故になるとリーダー、責任者、主催者の「業務上過失致死傷」の責任が問われる。その事故の大きさによっては責任も大きく「予見可能性」も厳しく追及される。

茶臼岳中腹での8人が死亡した「春山登山訓練講習会」、前橋地裁での福島第一原発での集団避難訴訟など大事故での責任者の予見可能性が追及され、前橋地裁は「予見可能性があった」と原告側の訴えを認めた。

長野県であった救難訓練中のヘリコプター墜落事故ではパイロットの周辺状況の判断、文房具通販会社の倉庫で発生した火災事故では段ボール空き箱の上でのフォークリフト操作での危険など「予見可能性」があったかどうかが焦点になる。

こう言う事故検証の場合、大きな事故が発生したのだから原因究明も比較的容易だろうが、大事なのはその時責任者がどう判断したかだ。

経験、他の事故事例、ルールなどを守っていれば避けられた可能性は大きい。春山登山訓練でも計画を変更しラッセル訓練に変えたこと、春山訓練での雪崩事故は過去事例も多い。関係者が密に連絡を取っていれば状況も変わってきたのではないか。また、ルールも守らなければならない。今回は「入林届」を出していなかったようだ。役所は出していれば注意勧告できたという。

経験も大事だがベテランだからこそ判断を誤るときもある。安全確保には「臆病」も必要なのだ。「計画断念」も安全管理なのだ。

そして上位の管理者は若手の忠告にも耳を傾ける必要がある。福島第一原発の事故原因になった高波による非常用電源類の壊滅は事前に回避できた可能性があるのだ。
貞観地震の発生が予想され、その時の津波高さが15mを越えるというシミュレーションが出ていたが上層部が軽視して防潮堤のかさ上げをしなかった。工事費も80億円と積算されていたようだが、ケチったのか。安全対策費に較べて被害が何と大きかったことか。


「予見可能性」は堅苦しい裁判所での判断ではなく、私たちが日常何気なくやっている事なのだ。

0 件のコメント: