空中都市、2400mの険しい尾根に立つインカ帝国の世界遺産である「マチュピチュ」の写真を見るたびに「建材の石はどこから」、「どんなにしてこんな高いところに」、そして「水はどこから」、「その排水はどうして」という疑問がわいてくるが、今回、ブラジルのリオグランデ・ド・フルだいのルアルド・メネガット准教授の調査でその謎が解けてきたというのだ。
その研究が米地質学会で発表されたという。
朝日新聞(2019.11.28)の科学欄「マチュピチュ あの立地の理由」とネットを検索した結果は次の通りだ。
今から、500年前、標高2400mにインカ帝国が「マチュピチュ」を建設した。2つの山の間の岩壁の上に700~1000人が暮らし段々畑がある。目的は上級階級の人たちのリゾート地で、ここを維持する人たちが自給自足していたようだ。
エール大の講師で探検家だったハイラム・ビンガム氏が1911年に発見した。
都市を建設するときは必ず建材、生活に必要な水の確保が問題になるが、マチュピチュは「どうしてこんな高所に」と疑問が出るのだ。
研究者らは現地調査と航空写真からこのマチュピチュは2つの断層の交叉する直上に断層に沿って構造物がたっているらしい。そこから、2億5000年前に地殻変動で割かれた花崗岩を建材として利用、自然の岩石のまま使用されたというが、石組みから考えるとて手をかけているのだ。
でも不思議なことは、何故500年も前に、断層があり交差していることを知ることが出来たのか。今だって断層の存在を知ることが大変なのに容易に知ることが出来たのか。
でも不思議なことは、何故500年も前に、断層があり交差していることを知ることが出来たのか。今だって断層の存在を知ることが大変なのに容易に知ることが出来たのか。
花崗岩を掘り起こしたあとの溝は水を集めたり、排水の溝に利用されている。水が重要なので危険を冒してまでも断層の上が利用されているのだ。砕石は建物や構造物の土台と水はけをよくするために利用されている。
花崗岩の掘り起こし、砕石の埋め戻しは都市全体の設計図から無駄のない設計にされていることに感心する。さらに帝国内に4万kmの道路を整備し人の往来、情報伝達に活かされている。文字持ないのに何で情報伝達かと思っていたらキープと言う紐の組み合わせで伝えていたそうだ。
2400mの高所によく作ったものだと思っていたがクスコも3400mの高所だ。さらにペルーは地震多発国だ。
昔の人がよくもこんな構造物をつくったものだと感心する。どうやって作ったのか検証するのも面白いだろう。
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