2015年7月31日金曜日

東電元会長らを強制起訴:経営トップの安全配慮義務を認めるべきだ

東京第5検察審査会が東電元会長ら3人に「起訴議決」したことで東京地検が2度に渡り不起訴にしていた経営トップの経営責任が問われる事になった。原発という巨大技術を運用する原発事業者にあっては「万が一」の場合でも高度の注意義務を経営者に課さなければ国民の生命、財産を守ることは出来ない。

東京地検の不起訴処分では福島第一原発の事故の背景が分からなかったが、今回経営トップが法廷に出ることで新たな証言が聞けるのではないかと注目したい。

この福島第一原発事故の焦点は、(1)新しい知見から津波の水位が15.7mになる試算が出ていたが東電は巨大津波の来襲を予測できていたか、(2)もし対策を取っていれば今回のような総電源喪失によるメルトダウンは回避できたかなどだ。これはメデイアでも報じられている。

そのほかに私は東電の経営トップに安全注意義務があると考える。業務上過失致死傷罪に問われると経営トップの「業務上」が問題になり社長や副社長の日常業務に安全配慮義務があるかと言うことになり、今まではそこまではないとされてきた。

東電福島第一原発の事故前の津波の想定高さは5.7mだったが、新しい知見で試算しなおした津波高さは15.7mで防潮堤の高さを上げるには80億円かかるという社内研究で若手研究員が報告していたという。

そのため、東電はこのままでは危険だと言う認識を共有していたとしたら防潮堤をかさ上げする決定をしなければならないが、それを怠った責任があると言われていた。

ところが東電は社内研究とはいえ正式な研究会ではなかったとして責任回避の手に出た。そこのところは事故調査報告でも言及しているはずだ。

国際原子力機関(IAEA)も福島沖でM8.3の地震が起きれば津波の高さ15m程度となる試算をしていたにもかかわらず東電は処置をとらなかったと指摘している。

さらには従業員教育、過酷事故対応が国際的な慣行に沿っていなかったともいう。我が国の原発事業をリードする東電に安全意識の欠如を見ることが出来る。この考えが社内に蔓延っていたとしたら経営トップの責任でしかない。

そして津波高さ15mの対策を取っていれば今回の重大事故を回避できたかということだが、これについては難しさがある。そもそも今回の福島第一原発事故は地震による機器の損傷で起こったものか、後に続く津波による機器損傷から総電源喪失に至ったのかがはっきりしない。大方は津波による被害とみているが地震に夜被害とみると考え方が違ってくるのだ。

それでも総電源喪失によるメルトダウンが発生したのは確かだ。では誰も総電源喪失による危険を予測していなかったのかというと疑問なのだ。福島第一原発の所長経験者が総電源喪失の危険を認識していたのだ。

安全対策よりコスト優先、原発事業者としての責任を果たしていないとはよく言われたことだが、これほどの巨大事故を起こしていながら東電経営者にお咎めなしとは不思議なことだ。

企業が事故を起こしても経営トップには日常業務として安全配慮義務まではないと言われ
通常は担当部門の長や実際の担当者がその責に問われた。だからなかなか企業の安全意識は高まらない欠点があった。

ところが原発という巨大技術を運用する東電のような事業者にあっては特に高度な安全義務が課せられるべきである。そして経営トップである社長や副社長にも日常業務として安全配慮義務を課すべきである。

そうすれば事業者の安全確保の意識が高まり国民の生命や財産を守ることも出来るのだ。

これを機会に、裁判でも企業にあって経営トップの安全配慮義務を厳しく問う法理論を確立して欲しいものだ。検察も従来の法理論に頼っていては巨大化、複雑化する技術に後れを取ることになる。

私たちは安全と紙一重の技術に頼る生活をしているのだ。

カネ食い虫のオリンピックはもう御免?:広がる東京オリンピック騒動、ボストンは辞退へ

金食い虫のオリンピックはもう御免? 広がる東京オリンピック騒動、ボストンは2024年夏オリンピック招致辞退?。27日、日刊スポーツでボストンが2024年夏のオリンピック招致を辞退したと米国オリンピック委員会が報じたことを知った。こう言うことはこれからも増えるだろう。国威発祥、都市開発の起爆にオリンピックを招致する動きも過去の物となるのか。

その理由も開催に対する支持が40%と低くカネがかかることに住民の反対があるようだ。大会の赤字を市が補填するほど財政に余裕がないのだ。

日本も決して財政的に余裕はないが、メインの国立競技場は「他に類のない真新しいスタジアム」、「東京都はこのために4500億円を用意している」など世界が驚く奇抜な計画、財政的にも余裕があるように見せたが、いざ基本設計に移ると膨らむ建設費、2兆円とも言われる大会運営費、大会後の維持管理費40億円など課題がはっきりしてきた。

今まで詳しくは知らされていなかったが新国立競技場の建設費2520億円には多くの国民が唖然とした。メデイアの世論調査で批判が高まると安倍政権は支持率下落を恐れて白紙撤回を決断した。

IOCもコスト高騰の批判に答え削減をメインにした「アジェンダ2020」を採択し東京オリンピックのコスト削減対応に一定の理解を示した形になったが、コスト高騰→開会不可能になることを恐れての対応だ。

その背景にはブラジルのW杯、オリンピック招致反対、国民の生活に支援を要求するデモが多発していた。

国威を世界にアピールするメイン会場、カネのかかる開会イベントなど途上国にとっては贅沢この上ないイベントなのだ。

ところで2020年招致活動で東京に敗れたマドリード、イスタンプールはどう考えているのか。東京の招致活動の内容が大きく変更になったことに「それ見たことか」と思っているのではないか。

マドリードはスペインの厳しい経済状況に対する懸念もあって低予算での開催を提案し多くの施設で既成施設の使用を提案しエコな開催を印象づけていた。
なんと言うことはない。今東京がそれをやろうとしているのだ。

イスタンプールも欧州とアジアの架け橋を主張、国内の開催支持は94%、強固な財政基盤、インフラ整備を唱っていた。

猪瀬前知事は、「途上国は先進国を追いかけていれば良いが、先進国は自分たちで未来を造る必要がある」と意気込みを示し、その結果東京、イスタンプールが有力とみられていたが「TOKYO」に決まった。

東京オリンピックも過去に戦争で中断した事があったが、今度はメイン会場の騒動、建設費の高騰などで工期が間に合わず中断と言うことにならなければ良いが。「次に何が起きるか」が日本国民の心配事ではないか。

早速エンブレムに対してクレームが付いた。関係者は「しっかり調査しているので心配ない」と言うが相手は訴訟に持ち込むようだ。似ていると思えば似ているのだ。

この件に関してデザイン者のコメントが気になった。エンブレム発表会の後の記者会見で「今後どんな問題が起きるか心配だ」と言う意味の発言があったのだ。何やら盗作の疑いがあるような発言だった。


オリンピックという巨大なイベントだからいろんな意味で注目されているが、財源は税金だ。決して官僚のやりたい放題ではダメだ。大きなイベントほど経理を公開する必要がある。

「国を守る」大義があれば「法的安定性」も犠牲に出来るのか

「国を守る」「国民の命、生活を守る」という大義があれば憲法の枠を越えたり、法的安定性を犠牲に出来ると言うことか。安保関連法案に関して安保環境など情勢変化の立法事実があれば政府の憲法解釈も必要に応じて変わってくる。

磯崎首相秘書官はついつい本音を言ってしまった。一方安倍総理は限定的自衛権行使という理屈で集団的自衛権の一部行使に出た。国民を騙しているのは安倍総理の方ではないか。

「法的安定性」を考えると従来の政府見解を変えての安保関連法案は理解出来ないが、憲法の枠組みを超えて「法的安定性に関係なし」と言えば理解出来る法案で磯崎発言はこっちの方だ。

でも安倍政権はこれではまずいので限定的自衛権行使の解釈改憲で新3要素を条件に「縛り」を入れている考えだが、「徴兵制」「戦争」への道は払拭できない。

30日の参院特別委員会の審議でも与党議員の質問に「徴兵制の心配が出ているが総理自ら否定してください」とか、野党議員からは「イランやアフガニスタンの地形に似た環境で米軍と自衛隊が共同訓練している」と安倍総理を追求した。

安倍総理は「憲法18条から徴兵制はあり得ない」、「米軍との共同訓練はたまたま米国でそういう場所があったと言うこと」と答弁し国民の抱いている心配事を否定した。

でも、安倍政権は憲法違反の安保関連法案を衆院で強行採決、衆院通過、参院審議入りをしているのだから「法的安定性」は必要と繰り返しても誰も信用しない。

時の政権の総合判断で如何様にも決断できる「縛り」のない平和安全法制なのだ。

磯崎首相補佐官については野党が「更迭」を要求したが安倍総理は拒否、電話で本人に注意したという。何やら緩い管理だ。

そこで参考人招致を与党も認め本人釈明と15分間の質疑をやるらしい。

磯崎さんはこの安保関連法案の構築に参加した人間でもあると言うから野党はしっかり質問して欲しい。

恐らく誤解を与える発言で「本心はこうだ」と弁解するだろう。首相側近中の側近の危機管理のなさに唖然とするばかりだ。もっとまともなお友達はいないのか。


党内での反対意見にも耳を傾け「裸の王様」にならぬよう自ら注意すべきだ。

2015年7月29日水曜日

安保関連法案・参院審議(2):10本の法案がどう絡んで平和安全法制を構築しているのか

安保関連法案の参院審議が始まったが、10本の法案が1本に一括提案されたがお互いにどう絡み合って平和安全法制を構築しているのかわからない。世論調査でも80%の人が「説明が不十分」とみているが、問題はここにあるのではないか。

参院での審議も時間が無い。衆院の審議と同じことを繰り返すのではなく、参院では1本1本の法案毎に中身をよく精査し野党各党が分担して特別委員会で質疑をしたらどうなのか。

衆院特別委員会での強行採決後に記者会見した浜田委員長が、「10本の法案をまとめて1本で一括提案したことはいかがなものか」と審議のやり方に疑問を呈していたが同感だ。

質問した野党議員も審議回数の少ない法案を指摘していた。

そして参院の審議では野党議員が「1本1本の法案を審議したらどうか」と提案したのに対して安倍総理は「それぞれが関連し合っているので難しい」と拒否していたが、これはおかしい。

逆に勘ぐると、関連性を聞かれると答弁に困るのだ。それとも何か不都合なことが隠されているのか。だから一括して提案し同じような質問を延々とさせ時間つぶしをやっているのか。

「丁寧な説明をして国民の理解を得たい」というのが安倍総理の考えであれば審議の方法を変えるのも一手ではないのか。

政権、与党は「対案を出せ」と野党を揺さぶるが、1本1本の法案をしっかり審議しなければ対案など出せないのではないか。この件で安倍総理は「我々の法案がベターだ」といって野党の対案を真剣に審議する姿勢にも欠けるのではないか。


国民の理解が進まない法案は廃案が常識ではないか。

安倍政権の本質は「法的安定性」軽視の政権なのだ

安倍政権の本質は従来の政府見解である「法的安定性」も軽視する政権なのか。憲法違反が指摘されている安保関連法案を成立に向けて突き進む安倍政権を見るとそんな感じがする。

恐らく安倍官邸内では「法的安定性を言っていては国民の命、平和は守れない」という考えがはびこっているのではないか。だからこそ今回の首相補佐官の「法的安定性は関係ない」発言が出てくるのだ。

「国民の命、平和を守るため」と言えば法的安定性否定を緩和すると思っているのだろうが批判は収まりそうにない。この発言で批判が高まると本人は弁明に努めるが、そもそも「こう言えばどうなるか」の危機管理意識に乏しい。

この発言で政権は挙げて鎮静化に努める。

表向きは、「9条のもとでも自衛権は認められるが自衛権は必要最小限度だ」という従来の政府見解だが、安倍政権は全面的集団自衛権は法的安定性を損なうが、限定的自衛権行使は法的安定性を維持するという見解だ。この限定的自衛権行使が無理筋な発想であるが新法案では新3条件を言うらしい。

安倍総理も国会審議で「日本が攻撃される恐れのある事態」に対しての野党の質問に「新3条件など総合的に考えて判断する」という。権力者の判断に全面的に負う「縛り」に欠ける法案に運用上の危険があるし「戦争に走る」指摘も無視できない。

今の日本は現・平和憲法を礎に築かれたという歴史をどう考えるのか。多くの国民が持っている感情だ。

安保関連法案は参院で審議されているが60日ルールでいけば成立しているに等しい中で、野党にがんばってもらう必要があるが、如何にせん国民の政党支持率は一ケタの前半で自民党支持の30%台を大きく下回る。

こんなに批判があるのに何故30%台の政党支持率を維持しているのか。民主党政権のことを考えると、まだ自民党政権の方がマシなのか。

最後は公明党の立ち位置だ。政権与党の一端として甘い汁を吸い続けるか、創価学会会員も国会周辺デモに参加しだしたことを考えると政権与党から離脱し安倍政権の暴走にブレーキをかける野党に転じるか。

国会議員自身、そして政党への国民の信頼をどう勝ち取っていけるか。大事な試練に立つ国会になってきた。

政権、与党は「対案を出せ」と野党を揺さぶるが、「違憲の安保関連法案」に対する対案などあるのか。

廃案しかないのだ。


2015年7月28日火曜日

安保関連法案、新国立競技場のボタンの掛け違い:必要以上のことをやろうとする間違い?

安保関連法案、新国立競技場問題がゴタゴタしているがボタンの掛け違いは必要以上のことをやろうとする間違いにあるのではないか。参院で審議が始まった安保関連法案は政治の負の遺産、ザハ案の新国立競技場は白紙撤回されたが,そのまま進んでいるとスポーツの負の遺産になる一歩手前だった。

そのボタンの掛け違いは安保関連法案では本来は憲法改正ですべきところを解釈改憲で強行していること、国立競技場問題では奇抜なシンボリックなデザインを世界にアピールしたかったことにある。

安倍総理が精を出す安保関連法案は中国の軍備の強化、南シナ海、尖閣諸島領海侵犯、北朝鮮の核開発など我が国を取り巻く安全保障環境は厳しくなる一方で、「一国で国民の命、平和を守れる時代」ではないことぐらい分かっている。だから抑止力と言うことを考えれば米国との関係を強化することしかない。

でも9条の解釈改憲など憲法の枠を越え、従来の政府見解を越えての集団的自衛権行使容認を認めることは出来ない。その合憲の根拠を政府は最高裁の砂川判決(瑕疵があるが)に求めているが多くの憲法学者も「違憲」とする意見が多数である。

正攻法でいけば憲法改正手続きであるが我が国の憲法は硬性憲法で改正のハードルは高い。安倍自民党は2回に渡り衆院では多数の議席を確保でき内閣の支持率も高かったし安倍さんの地方への視察では多くの国民が集まってくる。

安倍総理は人気のあるうちに集団的自衛権行使容認まで持って行きたいと思ったのだろう。解釈改憲の荒技に出た。安倍総理もそこは意識してのことだろう。解釈改憲について「今回が限界」とまで言い放し国民に理解を求めたが、国民の民意は政権から離れるばかりだ。

国民の多数の民意を反映すればこの法案が成立すること自体あり得ないことだ。ここにボタンの掛け違いがある。

国立競技場のゴタゴタもタイミングギリギリで白紙撤回、ゼロベースからの見直しになり文科省から官邸へ作業チームが移った。責任問題にまでなったが下村さんは責任を取らず、文科省の担当局長が退職した。あくまで定期異動だという。

何故こんなことになったのか。
そこでJSCHPから「新国立競技場 国際デザインコンクール」報告書を開いてみた。

1次審査で46応募件数から11件に絞り込み2次審査で1,2,3位を決めた。審査のコンセンサスは神宮外苑という特殊な場所であり環境を考慮する必要があるが内苑は伝統的様式、外苑は異物と思われたり近未来的なものをOKとする。

審査基準は、未来を示すデザイン、スポーツイベントの実現性、技術的チャレンジ、実現性、その他評価すべきポイントからなる。各デザインでも突出した評価の作品はなかったが、「日本が世界に発信できるイメージ」として意見交換しチーム全員で意見集約していこうとなったようだ。

その中で作品2,作品17(今回のザハ案)、作品34が選ばれたという。そして2016年の失敗の反省から「チャレンジに値しインパクトのある」ことを考慮しザハ案が最優秀賞に決まったらしい。

審査の前に技術調査を実施し○、△、×で評価した結果は見当たらなかったが、問題も多くあるが基本設計で対応委出来ると踏んだようだ。ザハ案のキールアーチも当然に技術的問題が指摘されていたが、ザハ案が奇抜なデザインでありシンボリックで、技術的に難しいが建築技術を世界にアピールするチャンスという意向もあったようだ。

しかし当然と言えば当然で工事費は高騰し大会後の維持管理費も高くなることから国民が立ち上がり批判の声を上げた。

文科省、JSCは技術的には問題が残っていても世界にアピール出来る「他に似たものがない真新しいスタジアム」を狙ったが、国民は工事費も安価でシンプルなスポーツ施設を望んだ。

ここにボタンの掛け違いが出た。


政治も、国を挙げてのオリンピックという大イベントの公共事業も必要以上のことをやらず、国民の民意をくみ上げ反映させる努力をしなければ挫折の道を歩むだけだ。

2015年7月26日日曜日

憲法学者にとって安保関連法案の「違憲」「合憲」表明は勇気の要ることなのか

憲法学者にとって安保関連法案の違憲か合憲かの表明は命がけなのか。参議院審議では安保関連法案が「違憲」か「合憲」かを議論すべきと思うがそう簡単にはいかないようだ。メデイアのアンケート調査を見ると憲法学者だって、その表明は勇気の要ることなのだ。

憲法学者にアンケート用紙を送り回答率は朝日新聞,東京新聞で約60%、憲法判例百選に名を連ねた憲法学者へのテレビ朝日の報道ステーションで75%だった。更にアンケートに答えた学者の中にも無記名を希望した学者も多いし40%ぐらいの憲法学者が立場をはっきりしていない。

自分が違憲派か合憲派かを表明すること自体が勇気の要ることなのか、あるいはレッテルを貼られることをいやがって「思想の自由」を主張しているのか。

うがった見方をするとアンケートに答えなかった憲法学者は「合憲」派なのか。今、違憲の声が大きい中で合憲派とみられるのを嫌っているのか。

アンケートに答えた憲法学者のうち「違憲」あるいは「違憲の疑い」と答えた学者は東京新聞で90%、朝日新聞、報道ステーションで95%、違憲理由としては「集団的自衛権行使は憲法を逸脱している」、「限定的でも改憲しないかぎり不可能」「立憲主義の危機」「閣議決定での変更に問題有り」としている。

反対に合憲の理由としては個別的か集団的かを憲法判断の基準にすることは自衛権保持の観点から意味はないというのだ。

そして法制の合憲性が学者の意見の多い少ないで決まるわけではないと言う。安保関連法案が憲法に違反するという意見は多数意見であり、合憲とする意見は少数意見と言うことか。

憲法の教科書では解釈で多数意見を通説、一方を少数意見と言われるが、この安保関連法案は「違憲」とするのが通説になるのか。95%の学者がそう考えているのだから通説なのだろう。

一方、安倍政権は合憲の判断根拠として1972年の「必要最小限認める」という政府見解に変えて最高裁の砂川判決を持ち出した。

ところが朝日新聞のアンケート調査では「砂川事件の最高裁判決が集団的自衛権行使を認めているかどうか」の設問に「認めている」0人、「認めていない」96人、「その他」24人で「判決は判断していない」というのだ。
この砂川判決には「どちらともとれる」表現もあるようだが「合憲の根拠にはならない」と見るべきだろう。2人の最高裁判事経験者が朝日新聞紙上で「違憲」「言い過ぎ」とコメントしていた。

更にこの最高裁の砂川判決は司法の独立を疑うものなのだ。

朝日新聞(2015.7.21)の社説「砂川判決 司法自ら歴史の検証を」という記事で、裁判当時の田中耕太郎最高裁長官が駐日米大使らと判決前に裁判の情報を伝えていたことの米政府の公電が公開されたのだ。

最高裁は一審の違憲判決の「世論を乱す少数意見」を避け、差し戻しの判決をしたのだ。高度に政治的な問題については司法は判断しないとしたのだ。

安保関連法案が成立した後、違憲訴訟を起こす動きもあるが最高裁はどう判断するか。

やはり最後は主権者たる国民が違憲かどうかを判断するのだ。そのためには日頃から憲法を語ることが必要だ。

また憲法学者も勇気を持って発言すべきだが、安保法案に大学から「NO」を発する京大発の声明が評判になっている(朝日新聞2015.7.18)。教育や経済など分野を超えた教員と学生が「自由と平和のための京大有志の会」を発足させ公表した声明が評判になっており他の大学にも波及しているという。

文科省が人文系の学部の縮小など改革を要求しているがそんな事をやったら日本の知は劣化を招くだけだ。

今、外交官や軍事評論家が中国、北朝鮮、中東などの世界の動きを解説して安保関連法案の必要性を問うているが憲法の解釈改憲は立憲主義に反し認めるわけにいかないのではないか。

東京オリンピックのエンブレム、国立競技場:直感的には良さが分かりにくいデザイン的デザインか

24日発表された東京オリンピックエンブレム
東京オリンピックのエンブレムが発表になったが、白紙に戻された新・国立競技場のデザインとも合わせて直感的に良さが分かりにくいデザイン的デザインではないだろうか。説明されれば「そうか」と理解出来るが黙ってみせられると「何だ」と言うことになりかねない。

24日発表された東京オリンピックのエンブレムもTokyo,Team,Tomorrow Tだと言われれば「Tか」と読めるし、パラリンピックの方は「=」をイメージしたと言われれば縦方向になっているがイコールに見える。

更に黒は多様性を表し、赤はハートの鼓動だとも言う。そう読まなければこのデザインの良さは分からない。

新聞報道によると審査に当たったグラフィックデザイナー協会の顧問は「エンブレムは生まれたばかり。皆さんの温かい愛情によって育ててもらいたい」と言うがどうだろう。

今回のエンブレムといい、白紙撤回された新国立競技場のザハ案といい素人にとっては煮え切らないデザイン的デザインではないか。

今は撤回されて無かった物となった新国立競技場のザハ案もどうして最優秀賞に決定したのか調べてみた。

当初設計の国立競技場 ザハ案
2012年11月の国際コンペの1次審査で46点の中11点が残り、結果的に満場一致でザハ案に決まったそうだが簡単には決まらなかったようだ。

技術調査では、可動席、スタジアムの動線計画、屋根の開閉構造、工期などが審査され実現性に多少の難しさがあってもユニークで挑戦的作品、シンボリックな作品ということで最終的には安藤忠雄さんが決めたようだ。

その結果は工事費が高騰し国民の批判が高まり安倍政権は白紙撤回する羽目になった。技術調査の段階で総工事費に1300億円が提示されていたかどうか分からないが工事費については審査していなかったようだ。

しかし、言えることはエンブレムにしろ、新国立競技場のデザインにしろ著名なデザイナーや建築家が選考に当たっていたはずだが、余りにもデザインに走りすぎていないか。
専門家が3案ほど絞り込み後は国民が人気投票するなど手はないのか。このままでは国民に愛されるかどうか。


煮え切らない東京オリンピックにならなければ良いが。

2015年7月25日土曜日

安保関連法案反対:そのプラカードも「戦争させるな」、「9条を壊すな」から「安倍政権NO」へ

国会前集会 「9条壊すな」 2015.7.14
安保関連法案の反対運動もスローガンが「戦争させるな」「9条壊すな」から「安倍政権NO」に変わってきた。当初は関連法案の内容に反対していたが衆院特別委員会での強行採決、衆院通過、参院審議入りと強硬路線を取る安倍さんの政治姿勢に主眼が向いてきたのではないか。

安倍政権NO
報道ステーチョン 2015.7.24
憲法違反の安保関連法案、国民の理解が進んでいないことを自ら認めながらも強引に推し進める安倍さんだが、「これが正しい」という信念を持っているのだから野党が何を言おうが聞く耳を持たない。おまけに自民党内は全員ダンマリだ。

特にホルムズ海峡での機雷掃海に力を入れているが、「何かホルムズ海峡で変化があったのか」と岡田さんが代表質問で聞いても安倍さんは答えなかった。

ところが駐日イラン大使がイランがホルムズ海峡を閉鎖することなど「全く根拠がない」と言い放った(朝日新聞2015.7.25)。急いで安保関連法案を成立させる必要は無いはずだ。

急ぐ根拠はなくなったが、参院では合憲性、自衛隊委員のリスク増等が問題になるだろうし、国民にどうすれば理解されるかも課題だ。

しかし、反対運動の主眼が「安倍政権NO」に向いてきたのであれば政治姿勢にも極力注意しなければならない。

YESと言っておけば良いと考える自民党議員の無気力さも安倍政権、自民党が今後国民の信頼を得続けるとは限らない。


            
一般家庭でも「アベ政治を許さない」
東京・大田区久が原で
                 

2015年7月24日金曜日

安保関連法案・参院審議(1):公約に載せてあっただけの政策で自民党本部の垂れ幕に掲げず

垂れ幕に平和安全法制整備の幕なし
憲法改正推進本部の立て看板はある
自民党本部
安保関連法案の参院審議入りも公約に載せてあっただけの政策で、自民党本部に今最重要政策である「平和安全法制整備」の垂れ幕はなく、憲法改正推進本部の立て看板があるのみだが何故、垂れ幕で正々堂々と平和安全法制(安保関連法案)の整備の姿勢を示さないのか。垂れ下がっている幕は「景気回復、この道しかない」で、先の衆院選でのキャッチフレーズだ。

自民党の選挙公約ではアベノミクス、経済再生を選挙の争点として多数の議席を勝ち取った格好になっているが、今力を入れている安保関連法案(平和安全法制)はメインテーマではなく公約に載せてあった政策という感じだった。

自民党のHPを開いてみると「不戦の誓いを守り続ける そして国民の命と平和な暮らしを守り抜く」と主張している。レッテルを貼られている戦争法案ではないと言っているのか。

安保関連法案の強行採決、衆院通過そして参院での審議入りが決まった。国会周辺では反対の声が大きくなり、昨日(23日)は村山元総理が「いてもたってもいれなくなった」と集会に参加した。

私は夕方からの反対集会は無理なので24日、昼間に孫と国会周辺へ行ってきた。有楽町で降りて歩くがかなり暑いが木陰は風もあって涼しげだ。雲も出ているので今日はもしかすれば夕立だと思った。

国会正門前
12時頃というと集会者はいない
2015.7.24
でも国会に近づくと多くの人が集まっていると思っていたが逆で静かだ。警察の警備車が並び夕方からの集会の規制の準備をしている。

3人の警察官に「今日は」と声をかけられた。孫と一緒だったからだろう。私一人では職務質問されたことがある。挨拶の声をかけて私がどう振る舞うかで怪しい人間かどうかを判断されるかもしれない。

国会見学者も多い。正門の外でバスガイドさんが待っている。参院側を回って議員会館の通りに出ると向こうからマイクで演説している声が聞こえた。この暑い中を反対行動している人たちもいるのだ。

衆議院議員会館前
STOP安倍政権、共謀罪、秘密法、盗聴法も要らない」という意味の横断幕を掲げた団体がいた。安保関連法案ばかりに気を取られていたが刑事訴訟法などの改悪案も衆院で採決されるというのだ。盗聴法の全面改正、司法取引の新設が秘密法、共謀罪とセットになれば極めて危険な治安立法になるから反対しようというのだ。盗聴法の改正はこれも憲法違反となるのだ。

これらの法案は記憶から遠ざかっていたが無視できない改正案なのだ。


この時間帯はこの団体と宗教団体の6~7人が炎天下で反対運動をしていた。恐らく夕方から多くの参加者が集まってくるのだろう。

議員会館から「請願書」と書いた封筒を持った人たちが出て来た。そういえば2016年度の概算要求が100兆円を越えたと新聞が報じている。今その時期なのだ。

首相官邸前もこの時間帯は静かだ












24日夜の国会正門前 集会に多くの参加者
今回の異変として創価学会の人たちが参加を始めたという
2015.7.24 テレビ朝日 報道ステーション

何時再燃するか 埋め立て処分場逼迫問題:手間とカネのかかるリサイクル社会は頓挫か?

何時再燃するのか、埋め立て処分場逼迫問題。一時廃棄物の埋め立て処分場が不足しているとともに不法投棄の急増など社会問題化したことがあるが、手間とカネのかかるリサイクル社会も受け皿の頓挫でうまく行っていないようだ。

以前から最終処分場の残余年数が問題になっている。いろんな資料を読むと残余年数は15~20年ほどだ。年によって埋め立て地の新設、増設、排出量の削減、有効利用で残余年数が違ってくる。

最近では2014年3月末で最終処分場の残余年数は19.3年という(朝日新聞2015.7.19 ごみどうしますか?)。

先日も新聞報道で東京23区から出る廃棄物の埋め立て処分場である東京湾埋め立て地の残余年数が50年余りだと分かった。新しい埋め立て地は無理で各自治体は有効利用、削減策で埋め立て地への持ち込み量を減らし埋め立て費の削減に努めているという。

ところが一方で、ゴミの再利用が行き詰まり資源化センターを体育館に改造する計画が出て来た(朝日新聞2015.7.18)。

それによると、循環型社会を目指し1997年群馬県板倉町が資源化センターを設立し脚光を浴びリサイクル社会の定着を目指したがうまく行かず体育館に転用することが決まったというのだ。

廃棄物は分別し可燃ゴミは固形燃料に、生ゴミは堆肥、熱源も再利用のリサイクル社会を目指した。ところが可燃物ゴミの受入量も20T/日の計画が実際には10T/日、固形燃料も6.5T/日しか出来ず、ダイオキシン規制や家庭ゴミでの塩素イオン含有がネックにもなったが計画通りには行かなかった。こう言うシステムは受け皿の確保が重要なのだが再利用場所が遠隔であると売値より運搬費がかかるのだ。

私も50年ほど前に可燃物、汚泥類を固形燃料にしようと考え検討したことがある。丁度北海道の自治体がドイツから固形化のマシーンを導入し固形燃料にして温室や学校へ燃料として供給する事例が出ていた。

検討結果ネックになったのが含有する塩素イオンと近くに消費場所がなかったことだ。

そしてこの頃、廃棄物の不法投棄が社会問題化した。一番の例は青森・岩手県境不法投棄事件だ。関東圏から集めた廃棄物が東北地方へ運ばれ正式に処理されるのであればいいのだが受け入れた企業もご多分に漏れず資金繰りが悪く不法投棄、未処理のまま丘陵地帯の地形が変わるほど埋め立てしてしまった。

地域の住民は早くから異常に気づき行政へ連絡するも行政の動きは鈍く、結果として巨大な不法投棄現場になった。最終的には排出者責任で排出者の割り出しを急いだが「不法投棄の認識」がなかったり正当な処理費を支払っていた例も多く、排出者が処理費を負担しても多くは自治体が代執行するしかなかった。

最近のテレビニュースで不法投棄された現場はきれいに原状回復されているようだったが、出てくる浸出水の処理は永久に続くことになる。埋め立て処分場に付く負の遺産が浸出水処理なのだ。

産業廃棄物処理業者の埋め立て処分場は10年ぐらいで埋め立てを終わって閉鎖する規模だ。

一般廃棄物の埋め立て処分場はどうなのか。近隣自治体と持ち合わせたり埋め立て業者に依頼したりするが土地の確保は難しい。埋め立て処分場の必要性は理解するが自分の近くは嫌だというエゴもは蔓延る。住民説得に長年かかりスムーズな計画が進まない。

例え可燃物を排出し固形燃料にしても燃やせば必ず焼却灰が出てくる。それを溶融して路盤材などに利用することも出来るがほとんどは埋め立て処分で処分場が必要になる。

今、環境方針で「ゼロエミッション」を唱っている企業もあるが、これはまやかしだ。

自分のところから出る廃棄物を有価物として有効利用できる企業に売却すれば自分のところから出る廃棄物はゼロになるが委託先、売却先では最終的には廃棄物となる部分がある。だから決して廃棄物がゼロということはないのだ。

埋め立て処分場がゼロになることはないだろうが、確保はしておかなければならない。震災時、廃棄物の処理がうまく行かなければ復興事業もはかどらないことは3.11東北地方太平洋沖地震で経験済みだ。


家庭から出る廃棄物がどう処理経過をたどるか、社会見学しておくのも有効ではないか。街に不法投棄が増えることだけは避けたいものだ。

2015年7月23日木曜日

新国立競技場ゼロベース見直し(2):始まった無責任論争、森vs文科省、JSC,東京都知事

新国立競技場の問題がゼロベース見直しになったと思ったら森さんが逆ギレし文科相、JSC、舛添東京都知事らと無責任論争が始まった。

先の有識者会議で「よくここまで縮小できた」と工事費2520億円を評価したのも束の間、安倍総理が内閣支持率の急落に危機を感じ、新・国立競技場問題で国民の批判に耐えきれずゼロベース見直し、安倍総理がトップで官邸に作業チームを設置したことで今までリーダー的存在の言動をしていた森さんが文科省、JSC,東京都を相手に暴言を吐き出した。

森さんが発言するほど計画の杜撰さが明らかになる。

森さんは組織委員会会長でもあるのに「自分が大迷惑している」というのだ。日本記者クラブでの会見で「クラウンに乗っていたら後からセンチュリーがやって来て、これに乗れという。乗った途端にパンクした」という意味の発言をし、今まで努力してやって来た仕事が台無しになりゼロベースからの見直しになったことに不満があるらしい。

2520億円を「これっぽっちのカネ」と言い、ボート会場の工事費が1000億円になることを考えると高くはないと言う論法だ。これは舛添さんがテレビ番組で「当初1000億円だったが今は500億円弱に見直しされた」という。森さんはそのことを知らないらしい。

なんだかんだ入れると事業費は2兆円になるらしい。ところがそのことを国民は知らない。今はザハ案の国立競技場が2520億円だということだけだ。ギリシャの財政破綻の一環にアテネ五輪での1兆円があり、拍車をかけたという。日本でも財政難の折、東京オリンピック招致が財政負担になる事は明らかだ。

文科省、JSCの秘密裏の事業推進に批判が出ているが、いつものことだ。あの長野の冬のオリンピックでも会計の不明朗さが指摘されたとき結局は領収書を紛失したとして曖昧なままに終わった。

恐らくオリンピック招致活動などで不明朗は出費があったのではないかとみられているが役人がかくしてしまった。

今回の東京オリンピックも巨大なイベントだ。メインの国立競技場はシンプルなスポーツセンターにし、どういう施設、環境整備、付帯施設、オリンピックとは関係ない事業、招致活動などにいくらかかっているのか会計を明朗にすべきである。今から決めておかなければ官僚がどんなずるい手を使うか分からない。それが無駄遣い抑制になる。

又、今までの杜撰な作業に批判が大きく文科相の責任を問う声も大きい。文科相は「これからしっかり仕事をすることで責任を全うしたい」という意味の発言をしていたが「もうお前は退け」と言われていることが分からないほど厚顔なのか。

思えばオールジャパンで取り組むとすると、直ぐに偉い方々(?)を並べての組織作りだ。日本的考えで良いと思う一方で、そういう人たちの顔色を見て仕事をするためになかなか意見を言いにくい。

特に今回はIOC総会での安倍さんの「他に例のない真新しいスタジアム、十分な財政処置」の発言がフレキシブルは考えの障害になり見直しの決断が遅れた。組織委員会の森さんが相手では鈴を付けるのは安倍さんしかいないと言うことになるが、安倍さんにも大きな責任がある。

今後新しいデザインが公募されるらしいが、どうして環境を害するような奇抜なアイデアが採用されるのか。複雑な構造ほど日本の建築力を世界にアピール出来ると思っては間違いの元だ。競争するのはアスリートだ。先のザハ案を森さんは「生牡蠣に似て嫌いだった」と言ったが、多くの国民もそう思っているのではないか。

もっと日本的なものに出来ないのか。東京オリンピック招致活動で「お・も・て・な・し」と言っていたが「おもてなし」であればもっと日本的なものに出来ないのか。選側に意識改革が必要だ。

報道によると、ラジオ番組に出た安倍さんに「デザインを国民投票で選んだらどうか」と言ったら「国際コンペが義務化されているので難しい」といったそうだ。頭から否定するのではなくどうしたらよいのか真剣に考えるべきではないか。

森さんに「止めろ」という人は安倍さんしかいないが無理だろう。森さん自身が辞退するのが本筋だ。今のままでは老害以外の何物でもない。


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2015.7.21掲載
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