新国立競技場のゼロベース見直しは当初から「時間が無い」と言われていただけに「この期に及んで」という感じだが、このドタバタ劇をオリンピック招致の教訓にすべきだ。組織委員会会長の森さんが2520億円の金額を「これっぽっち」と言った新・国立競技場建設の高まる国民の批判に耐えられず安倍総理は「ゼロベースでの見直し」を決断した。
安保関連法案の委員会強行採決、衆院通過で安倍内閣支持率は急落、続く新国立競技場問題で更なる下落を回避する為の決断と誰もが見ている。1ヶ月前から検討していたと言うがつい先日の国会では安倍総理も「工期が間に合わない」とザハ案を強行するつもりだったのだろうが、その1週間後にゼロベース見直しだから相当焦ったのだろう。
新構想では1800億円でデザインビルド方式をとるという。工期も短縮できるし責任の一元化も出来メリットは大きいのだろうが何故1800億円なのか。そもそも1300億円の根拠も分からなかった。一説には2016年の招致活動の時の建設費だと言うがそれでも高すぎる感じだ。
基本的にバブルの傾向を引っ張っているので先の森さんの「これっぽっちのカネが出せないのか」という発言になる。
恐らく官僚のやることだから本来の競技場施設以外に競技場とは関係ない事業費も入っていたのではないか。だから今度は単なるスポーツ施設で維持管理も考慮に入れた設計にするらしい。
更に東京都も湾岸部の都市開発に国のイベントを利用する手を使っていたのだろうが、そんな事を考えれば事業費は巨大になってくるのは当然だ。オリンピックにいくら使ったか分からない形になってくる。
また、森さんが主張する2019年のラグビーW杯の開催に使用すると言うことで国際コンペに時から「時間が無い」「工期が問題」と言われ、ザハ案見直しの障害になっていた。
森さんが諦めることで、新しい案は「秋口」に決まり競争的手続きをやって着工は来年1~2月になると21日下村さんが記者会見で発表した。ラグビーがなければ相当余裕のある事業だったのか。
また、舛添知事や安藤忠雄さんが指摘していた「誰がリーダー」、「誰が責任者」の問題も曖昧だったことが分かる。森さんもスポーツ界に人脈があると言うことで組織委員会の会長に祭り上げられたのだろうが責任者ではないくせに責任者らしき言動を取っていたのではないか。
今回、安倍総理が最高責任者だということはわかったが、その下で動くに人間は誰か。下村文科相や文科省官僚らしいが今までのことを考えると「大丈夫か」ということになる。21日の記者会見でも下村さんは自分の責任については「今後の計画を全うする」という意味のことを言っていた。
それにしてもこの奇抜なザハ案も取りやめになったことは良いことだ。
こんな競技場の中でアスリートが十分に力を発揮できるか。「威圧」されそうは雰囲気の競技場だった。やっぱりアスリートが溶け込み十分に実力を発揮出来るものでなくてはいけない。「箱物は立派だが日本選手の成績は今ひとつ」と言われないようにしなければならないアスリートに気の毒だ。
それが「お・も・て・な・し」ではないのか。
モダーンな設計が「日本的よさ」を潰している今の建築界にはチョット違和感がないか。
又、会毎に華々しくなっていくオリンピックが本当にオリンピック憲章に合っているのか。派手なパフォーマンス、接待付け、大騒ぎするのに決算が不透明、利権者がうごめくオリンピック村、オリンピック王国など好ましからざる噂が絶えない。
今回のメイン会場である国立競技場問題のゴタゴタは日本のみならずオリンピック招致の教訓として生かすべきではないか。
今世界経済を騒がせているギリシャの財政破綻はアテネオリンピック招致が拍車をかけたとも言われている。借金は1030兆円、対GDP比230%とも言われている日本もバブルなオリンピック招致は慎まなければならない。
2520億円で承認した有識者会議メンバー、その時は承認しながら安倍総理がゼロベースでの見直しを言った途端に手のひらを返したように安倍総理に同調するメンバーは信用できない。
IOC委員だっておかしい。
2020年東京開催が決まったときの要因には森さんも言っていたようにザハ設計での他に例のない真新しいデザインの競技場であること、更に財政面で東京都が4500億円を用意しているという安定性が大きく貢献したのではないか。
それがデザイン,工事費で揉めだすと「デザインではない。大会後どのように利用できるかが問題だ」と日本に理解するコメントを発表したが今、このゴタゴタで東京オリンピックが不可能になっては面目丸つぶれだ。前からそう言っていると言うのであれば早い時期にパフォーマンスに走る招致計画に警告をはするべきではなかったのか。
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