憲法53条(臨時会)の臨時国会招集権を内閣の「統治行為」で排除することは明らかに違憲である。憲法53条によると臨時会の招集が要求されたとき、内閣は迅速に召集すべきである。
昨年6月、野党から召集要求があった時、安倍政権は不当な理由を挙げ応じず、98日経ってはじめて召集したが、審議にも入らず衆院を解散する暴挙に出た。これに対して立憲民主の高木議員が岡山地裁に「憲法53条違反」として国を相手に国家賠償請求訴訟を起こし今、岡山地裁で係争中である(朝日新聞2018.11.27)。
忘れていたが、重要な訴訟だ。安倍政権の姿勢が追及されるべきである。憲法の規定をしっかり読めばこんな民主政治を否定するような事があってはいけないのだ。ところが国民の基本的権利を守るべき裁判所が内閣に関わる行為に対して判断を忌避する行動に出やすいのだ。
報道によると、高木議員は当時、「森友、加計学園問題」で真相究明するために臨時会の召集を要求したが98日間も放置された。しかも臨時会が招集されると審議にも入らず安倍政権は解散に打って出たのだ。
この是非に関して国は、過去の最高裁の判例、所謂苫米地事件を持ち出し、「国会の召集について、内閣の意思決定の当・不当について裁判所が司法審査権を及ぼすことは、憲法に定めた内閣と国会との関係が損なう事になりかねない」と言い切ったというのだ(同上)。
憲法は少数派の権利として臨時会招集要求権を認めているのに国は「統治権」を持ち出して要求に応じないのは明らかに憲法違反だ。
53条後半の記述は法的責任か、政治的責任かと議論が分かれているが、明らかに法的責任であると思う。内閣は法的責任を負い、要求があれば速やかに召集すべきだ。
期日も迅速でなければならない。昭和24年の吉田内閣の時に2ヶ月後に召集したが、余り遅くなると制度の意味がなくなる。外交、法案準備などの理由を挙げて抵抗することは憲法の精神から反するのだ。このときは「モリカケ」問題で安倍総理の責任が追及されるとこだった。安倍総理はそれを回避するためにいろんな理由を挙げて抵抗したのだ。
確かに法整備は不備だ。責任問題は生じるが、強制する法的方法がないのだ。
横畠内閣法制局長官も「法的義務」義務と認めている。
駒村・慶大教授は、「「高度の政治性」という大仰な議論ではなく、「適用すべき法的基準そのものが見当たらない」ので司法判断できないという論法に変化しつつある」と指摘、「「高度に政治的」というマジックで統治行為論を適用するのは81条を骨抜きにする」と指摘している(同上)。
安倍政権は憲法改正を急いでいるが、現憲もを守れない政権で改正を提案する資格があるのか。
憲法53条(臨時会)
内閣は、国会の臨時会の召集を決定することが出来る。いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。
憲法81条(最高裁判所の法令審査権)
最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。
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