2015年3月3日火曜日

川崎・中一殺害事件にみる(2):「わが子に限って」が非行防止の正常な判断を鈍らせていないか

少年らによる殺害事件の詳細が分かってくるに従いその残虐さが明らかになってきたが、未然防止ができなかったことに親たちの「うちの子に限って」という考えが親としての正常な判断を鈍らしたのではないか。

子供に非行があっても最後まで守ろうとするのが人間である親の性だが、それでは非行は防止できないのだ。。

今回の川崎中一殺害事件の主犯格の少年の父親の最初のコメントは、息子が事件に関与していないことを前提に事件について批判する内容であった。弁護士を伴っての少年の出頭は殺人容疑に対する用意周到な対応だと思ったが何だったのかと思う。

そのうちに主犯格の少年の自供が始まると、「新聞報道で知り言葉がない。真摯に警察の調べに応じるように伝えたい」という内容に変わってきた。

驚いたことに殺害された少年や、その親に対する謝罪の言葉はない。

恐らく自分の子供がやったという事実を認めるのに時間がかかるのだろう。実際にその立場になると誰だってどういう行動をするかは分からない。

今回の事件でよく言われるのは、子供たちの間で情報が共有されていたが、親を含め大人が入り込む余地がなかったのは問題だという。休んでいた学校、数日前のトラブルを処理していた警察のやり方に問題がなかったかというのだ。

逆に、注目すべきは殺害された少年から情報を得ていた別のグループの少年らが事実を確認し暴行を止めるように主犯格の少年の家に行ったことだ。少年の間では暴力行為に対して止めようとする動きがあったことだ。

しかし、その時の警察の処置がまずかったこと、主犯格の少年がちくられたと判断したことが今回の殺害の要因になったという。そんなことで殺しまでやるのかと唖然とする。

自分の子供の異常は毎日一緒に生活している親や家族が一番把握できる立場にある。異常があれば問い質し、どう考えているのか話し合う機会もあるはずだ。仕事が忙しいからとか時間がないとかいうのは親の責任を放棄していることにならないか。
子育て、教育には親が80%の責任をもっている。学校のPTAや保護者会で親の責任についてしっかり議論すべきではないか。学校関係者が入るとどうしても学校、教育委員会の責任追及になってしまい親の責任があいまいになってくる。

また、家庭でも親子で話し合うことも大事ではないか。知らんふりをする父親、母親、黙り込む子供がいる家庭は要注意だ。

「わが子に限って」ではなく「わが子はどうなのか」だ。


0 件のコメント: