2015年3月2日月曜日

川崎中一殺害事件に見る(1):声をかけ親が子供に真剣に向き合う大切さ

川崎中一殺害事件で主犯格の少年が供述を始めたことで概要がはっきりしてきたが、いつも思うことはもっと親が子供に声をかけ、真剣に付き合っていればこんな凶悪事件も未然に防止できたのではないかと思う。

教育者が言ったことだが、子どもを育てる責任は80%が親であり、家族、10%が学校、残り10%が社会だという。

ところが今回のような事件が起きると、学校や社会がどうすればよかったか、落ち度がなかったかと検証を始める。教育委員会は学校関係者を集めて情報交換する。

でも、80%の責任がある親は「わが子に限って・・・」と頭から事実を認めようとせず、親の責任を検証することがしにくい。だから本質的な問題解決には至らず相変わらず同じような事件が後を絶たないのではないか。

今回の事件もテレビの情報番組でコメンテーターがいろんな意見を述べている。でも親の責任に言及する意見は皆無と言っていい。

主犯格の少年が供述を始めてだんだん全体像がはっきりしてくるだろう。そこに親がどうかかわるべきだったのか、考えてみる必要がある。

警察の調べで、事件の数日前主犯格の少年の家に別グループの少年が訪れて警察沙汰になったという。別グループの少年は殺された少年に「暴行を加えたかどうか」を確認しに訪問したというが、少年はいたが親が会わせてくれなかったということで警察を呼ぶ羽目になったようだ。

だから主犯格の少年の親は自分の子どもがやったことを知っていたはずだが、肝心なところで弁護士に丸投げで逃げている。

また、これだけの情報が子どもの間で流れているのに何故、大人が気がつかなかったかということも指摘されている。でも子どもの姿を見れば被害者の親は何があったか分かるはずだ。被害者の親はどう行動したのか。

主犯格の少年だって不良グループでは有名だったのではないか。その親としてどう考えていたのか。手に負えなくて放置したか、非行防止に真剣に取り組んだのか。
主犯格の少年は、「いじめにあった」経験があるという。だから強い子供ではなく、弱い子供を相手にいじめをやっていたらしい。そのいじめにあっていた時に親はどう子どもに対応していたのか。

そういう時に子どもにやさしく、真剣に対応していれば万一グレたとしても、その時の親のやさしさを思い出し非行を止めるきっかけも作れたはずだ。

よく親は仕事で忙しい、時間がないというがそれは責任から逃げている証拠だ。どんなに忙しくても毎日10分や15分子どもに声をかけ真剣に向き合うことはできるはずだ。

そして、自分で手に負えなくなれば学校や役所に専門の部署があるので相談することもできる。

放置しておくことが一番親として無責任ではないか。

こういう事件が起きると当事者の親の責任に言及することを避ける傾向にあるが親の責任をないがしろにして子供の非行を防止することはできないと思うのだが。




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