2023年12月30日土曜日

寺田寅彦博士の「震災日記より」から関東大震災発生時のことを知ることができる

 関東大震災から100年、いつまた起こるかわからないが、著名な物理学者の寺田寅彦博士がその著書「震災日記より」で9月1日の震災発生時のことを詳しく記している。当時博士は上野二科会招待日で上野付近で震災にあったのだ。

上野と言えば被害に少なかった地域であるが、低地にいくと甚大な被害が出ていたのだ。

9月1日は朝からしけ模様で激しく雷雨があったかと思えば晴れる天候の繰り返しだったという。雨が収まったので上野二科会を見学した。

10時半ごろTさんと喫茶店で紅茶を飲んで話し合っている時に急激な地震が襲い掛かった。両足の裏を木槌で急速に乱打される感じだったという。

弱い初期微動にきずかず、主要動を感じ、妙に短周期の後主要動が襲った。博士は全く経験のない異常な大地震を感じた。

海上の建築の揺れは4~5秒の長周期にお揺れでこれなら大丈夫と感じたようだ。主要動の数秒後、一時振動が収まると思ったら最初にもまして激しい波が気、次第に減衰し、その後は長周期の波ばかりになったという。

食堂の様子もわかった。夫人がビフテキを食べていたが、一度目は平気で食べていたが2度目の最大動が来たときはさすがに1人残らず出ていった。外ではグループになって避難していた。

館内は油絵もずれたり落ちたりはしていなかったので建物の自己周期から博士は安全とみた。そのうちにボーイが返ってきたので料金を払って出たという。

下谷の方を見るとひどい土埃が飛んでいた。多数の家屋が倒れたのだろう。東京中が火の海になると博士は感じた。

東照宮前まで来ると石灯篭が全部倒れ、大鳥居も橋げたがはずれ、大仏の首が落ちたと後で聞いた。

不忍弁天の社務所が池の方に倒れるのを見て、大地震と諭さ層だ。動物園の裏では道路の真ん中位に畳を敷き病人を看病していた。

頻繁に襲ってくる余震でレンガ壁は崩れ、湿地帯の道路は危険と感じ、家に帰る道順を変えたというが千駄木まで変えると倒れた家はなかったという。

東大も火災にあったという。

街中はところどころ出火、南の空の珍しい積雲が見られた、博士は「余程盛んな火災のため」と感じたそうだ。

「震災日記より」は2日、3日と続く。

参考:「ピタゴラスと豆」角川ソフィア文庫より。


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