2014年の都知事選でのポスター 東京都・大田区久が原で |
猪瀬さん、舛添さんの「政治とカネ」スキャンダルは間違いだらけの都知事選びを浮き彫りにしているが、悪いのは公認(推薦)する自民党か、知名度、人気度重視で選ぶ有権者なのか。
2014年211万票を獲得して当選した舛添さん、2012年433万票という圧倒的多数で当選した猪瀬さん、そして2011年260万票で石原さん。皆、任期を全うしていない。
一方で知名度は抜群である。1000万人を越す首都・東京の有権者の支持を得るには知名度が重要らしい。しかしその知名度、人気度(?)がくせ者なのだ。候補者自ら人気があると誤解しているのだ。
更に、この3人の選挙手法を見ると共通点がある。
他の候補者が次々名乗りを上げるのに、ギリギリまで出馬の態度を明言せず、メデイアはその候補者の動向を日々報じるから、体の良い選挙運動をしているようなものだ。
石原さんの最初の立候補の時は、下馬評には挙がっていたが「裕次郎の兄の慎太郎です」と出馬表明したのは間際だった。それまでは連日他の候補者が一堂に集まっての政策討論会をやっていたが、石原さんの政策を他の候補と比べる機会はなかったに等しい。それでもトップ当選した。
「東京都は病んでいる」と主婦層から立候補を促され、その気になって立候補した元・宮城県知事の浅野さんも石原陣営から「東京のことは東京に任せろ」と反撃された事もある。
2011年の都知事選では4選批判から石原さんが引退を表明、前の神奈川県知事の松沢さんを推したが、東国原さんの立候補で劣勢とみて松沢さんを下ろして自ら再度立候補したこともある。
このとき自民党がどう動いたか分からないが、民主党は独自候補を見送った。結果、石原さん261万票、東国原さん169万票、共産党の小池さんも脱原発を訴えたが62万票。石原さんだったかどうかは忘れたが「東京から日本を変えよう」がキャッチフレーズになった。
ところがどうしたわけか、翌年石原さんが知事を辞職した。国政に出るというのだ。東京から日本は変えられず、やっぱり国政だというのか。
後釜に副知事の猪瀬さんを推した。「彼で良いだろう」というのだ。お墨付きをもらった猪瀬さんだが出馬表明はギリギリまで待った。「何故」「何に迷っているのか」と世間は勘ぐったほどだが、今から考えると金策に苦慮していたのか。
2011年の都知事選の結果は、猪瀬さんが圧倒的強みを見せ433万票、史上最多で自ら民意を強調、「新しい発想で都政を変えていく」と言いだし都の官僚の言うことを聞かなかったようだ。次点の宇都宮さん97万票、あの松沢さんは62万票だった。
そして、あの徳州会からの5000万円の政治献金問題が発覚、総務委員会では絞られ、百条委員会設置の動きが出た途端に辞任した。鞄に5000万円の札束が入るかどうかのシーンは今でもニュースになる。
そして2014年の都知事選、宇都宮さん、ドクター中松さん、田母神さん、舛添さん、細川さんら16人近くが立候補した。2020東京オリンピック、脱原発、反原発、首都直下地震など災害対策、少子高齢化、「政治とカネ」などが争点になった。
ご多分に漏れず、舛添さんはなかなか出馬表明しない。最後は自民党本部や官邸に姿を見せていた。東京都連は反対していた。そりゃそうだろう。「自民党に明日はない」と飛び出し新党結成を目論んだ。当然自民党は除名処分した。そんな人間を首都の知事に担ごうとするのだから関係者は戸惑う。
舛添さん自身も厚生労働相をやり人気も高まった。次期総理候補までなったのだが、自民党内での立場は微妙だったようだ。仲間を連れて離党し新党を結成しようとしたが、一緒に出たのは1~2人、5人以上確保できないので既成弱小政党と組んで新党改革を立ち上げた。しかし舛添さんの人気を当て込んでいたが直後の選挙でも党勢は延びず、舛添さんの力不足は明白だった。
当時の舛添さんの人気とは裏腹にスキャンダルは出ていた。1週間に1回北九州に帰り母親の介護をしている事を売りにしていたが、お姉さんの話では胡散臭い話だった。
確か菅さんだったと思うが、次期自民党総裁に担ごうとしたが、それも振り切っての離党だったようだが人望はなかったようだ。
そんな舛添さんを知事選に担いだ。自民党公約を全部飲み込ませたようだ。だからかどうかは分からないが、舛添さんは公務でも美術館が通い、高額な外遊に耽りテレビの情報番組で舛添さんの日程表が示されていたが、スカスカでコメンテーターも呆れかえっていた。
選挙結果は、舛添さん211万票、次点の宇都宮さん98万票、注目の細川さん96万票、野党や無所属が乱立を避け統一候補を擁立していたら舛添さんのような自民党候補を打ち破ることも出来たはずだ。
舛添さんの素性は新聞をよく読んでいれば東京都知事として資格があるかどうかは分かるはず、有権者は自民党に騙されたことになるか。
実際には、他の候補者も捜していたようだ。池上さんは「生涯一ジャーナリスト」を望み断り、今噂になっている小池さん、オリンピック新国立競技場でみそを付けた下村さん、橋本さん、丸川さん、厚生労働事務次官だった村木さんらは自民党から話は合ったが断ったという。
当時、民主党はジャーナリストの鳥越さんや今度長野から参院選に出る村尾さんの名前が挙がったようだが本人が固辞したという。
自民党も候補者選びに奔走していたようだがうまく行かず、舛添さんしか担ぐ人間はいなかったようだ。
石原慎太郎さんの息子の伸晃さんも2012年頃の選挙で名前が挙がったようだが、自民党総裁選の芽が出そうな時だったので断ったとも言う。それじゃ世襲ではないか。
都知事候補に大きな影響を及ぼす 自民党本部 公認に迷わされては いけない |
メデイアも選挙が近づくと候補者のスキャンダルは報じにくくなる。だからネットなどで候補者の人物像をしっかり把握してから投票すべきだ。
我々のみっともない知事の姿を世界にばらしたくないのだ。
更には大事なことだが、しっかり登庁し仕事をして欲しい。
石原さんは1回/週で、特別秘書の浜鍋(?)さんが都政を牛耳っていた。選挙の洗礼も受けていない人間が都政を牛耳っていることが問題になり石原さんは首を切った。対立候補者が「私は毎日に登庁する」と公約したほどだ。
猪瀬さんも2回/週程度だったと言うし、舛添さんもスカスカの日程表で美術館通いに精を出していたようだ。それでも高額な報酬が得られるのだから都民にとっては頭にくる。
何時になったらまともな都知事が現れるのか。有権者の目を肥やす必要がある。
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