生活に追われてうっかりしていたが、9月1日は防災の日、1923年9月1日発生の関東大震災、これから起きるであろう都心南部直下地震を考えて見ることにした。特にこの直下地震の震源域は私の住んでいる東京・大田区、品川区の地下を走る断層が動くことになる。
1923年9月1日午前11時58分頃、東大地震学教室の地震計が大きく揺れた。関東大震災の発生だ。M7.9,昼時で風も強く各所で火災が発生、広場に避難した人たちも火災に巻き込まれ多くの人が犠牲になった。この大震災の一報は横浜港に停泊中の外国船から世界に打電された。記録によると「火が港に迫っている」というものだったようだ。
関東大震災の広範な震源域 2013.9.1朝日新聞 |
朝日新聞(2013.9.1)「関東大震災を知る」によると、揺れ、大津波、山崩れ、液状化など複合災害が被害を大きくした。最初は相模湾が震源だと思っていたが、小田原城の石垣が崩れたというニュースで本当のところはどうなんだと思っていたが、震源域は神奈川県から房総沖まで70km×130kmの広範囲にわたるのだ。
大きな余震が相次いでいるのだ。
名古屋大の竹村教授は「本震は一級、余震は超一級」と言われているし(朝日新聞(2013.9.1)、有名な寺田博士は「最初にもまして烈しい波が来て2度目にびっくりさせられた」と当時鎌倉に向かっていた博士が経験談としてその随筆「天災と国防」に書き残している。
新聞記事によると、本震の震源(地図から推定すると神奈川県松田周辺)はM7.9(9月1日11時58分)、余震は羽田沖(9月1日12時01分)M7.2,丹沢山地(9月1日12時03分)M7.3,東京湾木更津西(9月1日12時48分)M7.2,九十九里(9月1日18時27分)M7.1,翌日の9月2日は野島岬沖東M7.6、そして少し時間がたつが1924年1月15日相模湖西の丹沢で5時50分M7.3の揺れを記録した。
東京も羽田沖でM7.2が起きていたので首都も甚大な被害を記録したことになる。
巨大地震には大きな余震が続くし、本震と思っていたのが余震で2回目の地震が本震だった経験は熊本地震で経験済みだ。
寺田寅彦博士は随筆「天災と国防」で重要なことを指摘している。
文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を十分に自覚し平生から防御策をこうじなければならないと言う。でもそれが一向に出来ないのは何故か。東北地方太平洋沖地震での東電福島第一原発に事故は最も悪い事例だ。
その要因に「そういう天災が極めてまれにしかおきない」と安心しているからなのだろうか。電車の中を見ると皆、スマホに集中している。今日地震などおこるとは思っていないのだ。
更に、昔の人は過去の経験を大切に保管、蓄積してその教えに頼ることに忠実で、関東大震災でも多くの人が助かっている。昔の古い家が助かって新しい新開地の家がグニャグニャだとも指摘してもいる。
関東大震災では羽田沖でM7.2の余震が発生している。
都心南部直下地震の震源域と揺れ 朝日新聞2013.12.20 |
今、首都直下地震の想定としてM7.3,東京・大田区から品川区の地下を走るフィッリッピン海プレート内部での震源を想定した「都心南部直下地震」が上げられている。19例の首都直下型地震で都心に1番被害が大きいと想定されている例なのだ(朝日新聞2013.12.20)。
安政江戸地震(1855年)を参考に品川、太田で断層が動きM7.3の揺れを起こした。ところがこのプレートの位置が従来考えられていたよりも10km浅いことが分かった。と言う事は更に揺れが大きくなることだ。
何時おきても不思議ではない首都直下地震だが、M8クラスの関東大震災はチョット先、その前にM7クラスの首都直下地震、その前にそれよりも小さい地震が多発すると専門家は見ている。
30%の地域で震度6弱以上ということは残り70%は東京近辺では何処でも起きるのだ。
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