2009年8月7日金曜日

高い水準の犯罪件数 人間力の低下が原因か


こう毎日、新しい事件の発生が報道されると犯罪が多発しているように感じるが、実際には認知件数は減少しているのだという。
 
 警察庁犯罪白書で認知件数の経過を見ると、刑法犯全体では平成18年は前年比7.9%減、19年は前年比6.5%減で2,690,883件。このうち道路上の交通事故関係を除いた一般刑法犯は18年は前年比9.6%減、19年は前年比6.9%減で1,909,270件。このうち窃盗を除いた一般刑法犯は18年は前年比5.1%減、19年度は前年比7.2%減で479,314件。

 全体で考えると、平成14,15年頃のピークから減少傾向にあるのだ。

 問題の殺人の認知件数は、横ばい傾向にあり16年以降4年連続でやや減少し、19年は前年比8.4%減の1,199件だったという。一日平均3件強の発生だから目立つのも当然だろう。

 親が子供を殺したり、子供が親を殺し尊属殺人、生活の貧困からか金の貸し借りでの殺人事件、非社会的な行為を注意して殺される事件、最近多くなった大麻やMDMSなど大麻や麻薬取締法違反事件、高齢者を狙った振り込め詐欺事件、生活保護を逆手にとったと思われる詐欺まがいの事件、それぞれ世相を反映した事件が多発している。

 犯罪白書では減少しているのに、どうして私達は治安が悪くなっていると思うのか。これを「体感治安」と言うらしい。

 河合幹雄桐蔭横浜大学教授はその原因を、以前は「犯罪の起きる場」として盛り場が多かったが、最近は住宅街で昼間からのひったくりや空き巣の犯罪が増え、誰でもどこでも犯罪に合うかも知れない状況になったことが要因の一つだという(朝日新聞 2007.1.22)。

 私の住んでいる田舎町でも、焼肉店周辺での暴力団抗争による殺人事件からアパート街での痴情のもつれによる殺人事件も発生し、NHKで報道されると遠い親戚でも知る事件となった。何時どこで起こっても不思議ではない状況だ。

 事件を未然に防ぐ抑止効果がないのか。

 私達が小さい頃は、祖父、祖母、親、叔父、叔母など大家族で生活していた。何か悪いことをすると祖父から「こんな事はやってはダメだ」と懇々と説教されたモノだ。家族みんなでお互いに注意し合っていた。
しかし、核家族になり、生活のために親が忙しくなると子供と接する機会が少なくなってきた。お互いに何をしているか知らない生活になった。

 「こんな事をしたら、親が怒るだろう」という「家族の抑止力」が働いていたが、今は親が子供を殺したり、子供が親を殺す事件が多い。社会の基本単位である「家族」という組織が崩壊しているのだ。「親が困るだろう」「家族が困るだろう」なんて考えもつかないのだろう。
 
 「人間力」も劣化している。「人間力」と言っても定義は分からないが、「常識を持って社会生活が出来る能力」とでも言うのだろう。

 学校で、道徳教育を受ける。評判が悪かった「ゆとり教育」は、子供が大人になり生活していく上での力を付ける教育だと聞いていたが、教育内容をしっかり検討する前に、学力低下の元凶と見なされ廃止になった。

 大きい企業にはいると、社員教育がある。「我が社に相応しい行動を」と教育される。何かやらかすと、会社の幹部が記者会見で謝罪する例もある。しかし、学校を中退したり、正規社員として入社しなければ、社員教育の機会はない。

 十分な社会人教育も受けないままに大人になり、子育てをすることになる。

 有名人の大麻、MDMSなどによる麻薬取締法違反事件は、ことさらやっかいな事件である。何故この犯罪行為が非社会的行為であるかが分からないのか。

 押尾容疑者の場合、MDMSが違法なモノであるとは知らなかったと言っているようだが、こんなに有名な麻薬を知らなかったとは驚くが、「問題はどういう目的で飲んだか」だ。更に人間力を疑う。自分のやった結果に「どうして良いか分からず、マネージャーを呼んで現場をはなれた」と言う。30歳も過ぎてそんなことも分からないなんて一児の親として恥ずかしい。

 酒井容疑者も、夫が覚せい剤取締法違反現行犯で逮捕されて、「この辱めをどうしてくれる」と泣き崩れ、子供を連れて失踪した事件と同情を買っていたが、何の事はない、自分も
覚せい剤所持で逮捕状が出たという。逮捕を逃れるため、逃げ回っている立場になった。

 有名人である以上、一般人に比べても社会的責任は大きいが、どうしてやってはいけないという抑止力がはたらかったのか。人間としての未熟さか、夫もやっている事だし、見つからなければいいという安堵からか。有名人になる事は、それなりの責任がある。

 こんなことも言えるのだろう。「やってはいけないこと」という規範意識は、それとなく持っているが、自分の行為が「重大な結果を招く」という「想像力」が低下しているのかも知れない。
それは社会人教育だ。企業や芸能プロダクションなど所属組織がしっかり具体的に教育しなければいけない。

 犯罪を起こせば、被害者側はさることながら、加害者側にも自分自身は勿論のこと、家族、親兄弟、親戚にはバラバラになり、それぞれの家庭が崩壊する過大な影響が出てくる。

 昨日は、普段であれば余り注目もされない殺人事件が、裁判員制度第一号の裁判と言うことで注目された。「身勝手で極めて短絡的な殺人」と言うことで、検察の求刑16年に対して15年という量刑になった。専門家は13~15年考えていたので、ほぼ妥当な量刑と評されているが、重すぎるという批判もあるらしい。

 この被告人は、被害者を斬りつけて殺す前に、何故、「相手側、自分も含めて結果がどうなるか」考えなかったのか。被害者の言動も問題で、自分の考えが受け入れられていない批判しているらしいが、「想像力」にかける行為であった。

 「想像力」、「我慢する力」は「人間力」として重要である。家庭でも、会社でもしっかり教育しなければならない。

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