2011年3月28日月曜日

平成23年東北地方太平洋沖地震の教訓 「自然を甘く見るな」




東北地方太平洋沖地震はいろんな教訓を与えてくれたし、警鐘を鳴らしてくれている。この地で復興を願う住民の方は、「もうしばらくはこんな災害は起こらないだろう」と思っているかも知れないが、「自然を甘く見るな」だ。


予想もしなかった連動型の地震波M9.0という巨大地震になり大津波災害を起こした。大きな防潮堤を乗り越え、船共々街に押し寄せてくる映像は、自然の怖さをおもいしらされた。荒れ狂う自然の猛威に打ち勝つ技術はないのだ。


災害後、被災地の津波浸水ハザードマップを見た。津波の規模の違いはあるが予想では、平坦部はほとんど浸水している。所々の高台が避難所と指定されていたが、津波の大きさはその避難所も飲み込んでしまった。


被災地は地盤沈下もして冠水している所もあり、海水をかぶった田畑は塩害の心配もある。復興に向けてこの地をどうするかは重要な課題だ。居住区は高台に作り、漁業施設、商業施設を被災地跡地に再開発していくのだろうか。その復興の青写真に注目している。


今回の震災は、いろんな反省点と自然との共存の大切さを教えてくれた。


自然の脅威に謙虚でなければならない。減災は別として、土木技術で防災が出来るとは思わないことだ。 災害をシミュレーションする想定モデル通りに地震は起こらない。巨大地震のことは分っていないことが多い。災害は誰だって軽い方が良い。巨大な災害など知りたくないのだ。


しかし、地震はある程度周期性があり発生間隔が大まかには推定できる。古文書や地震考古学の分野も活発で今まで分っていなかった地震も分りだした。地震研究センターの岡村さんは、「非常にでかい津波」が過去のあったことを指摘した。869年の貞観津波だ。大津波は決して想定外ではなかったのだ(朝日新聞2011.3.25)。


「想定外だった」とは、行政、企業など当事者の責任逃れだ。特に原子力発電という巨大技術を扱う技術者は自然に対して謙虚でなければならない。誰かが「巨大津波の危険」を指摘した時点で、技術者には「予見可能性があった」ことになる。適正な対策を立てずにその指摘をねじ曲げる行為は、企業の傲慢さであり、東電にとってはあるまじき行為であり、大震災を理由に東電が責任を逃れることは出来ない。


首都圏でも被害は大きい。民間デベロッパーによる都市の乱開発が問題だ。千葉県浦安市のように埋め立て造成された街は液状化で家は傾き、ライフラインは壊れたまま復旧の目処が立たないところもある。昔、海岸部、河川敷であった場所の都市開発は液状化が避けられない。


東京では、高層ビルが左右に大きく揺れているのを見た人が多い。耐震設計で倒壊することはないだろうが、エレベーターが止まったり、ライフラインが止まった所もあるようだ。首都圏は軟弱地盤で、国内で発生する地震による長周期地震動で常に攻撃されていることを忘れてはいけない。


防災計画も大幅な見直しが必要だ。助かった人達の情報から防災に必要なソフト面がはっきりしてくるだろう。よく言われているように「より高いところに避難しろ」、「第一波より2波、3波と続く津波の方が危ない」を肝に銘じるべきだろう。被災地を映すテレビ映像で、どろんこになって転がっていた時計が16時半頃を指していた。


そしてこれも大事なことだが、日頃から埋め立て処分場などの施設を確保しておくことだ。兵庫県南部地震後の復興では、震災がれきの処分に大阪フェニックス計画の処分場が役立った。埋め立て処分場は嫌われる施設であるが、一方で災害復興には欠かせない。厚生労働省の震災廃棄物対策指針を見ると、震災廃棄物も分別、中間処理、最終処分が必要だ。


また、 過去の災害情報、その土地の由来を示す番地が変更され、過去の災害、地域の成り立ちの情報を知ることが出来なくなった。○○沢、○○沼,○○谷などが何丁目何番地と表示が変わり、モダーンになった代わりに重要な情報が姿を消した。


自然の力は恐ろしい。最新技術でも防ぐことが出来ないのだ。被災地の復興、再開発にどんな知恵が出せるのか。


写真上段左:津波到来を映す。第一波より第二波、第三波など後に続く津波の威力の方が大きいことは分かっているのだが、続く津波で犠牲になった人が多い。民放テレビより


写真上段右:3号炉への放水作業 あんなに海水をかけてその水はどうなるんだと思っていたが、案の定放射能汚染水となりたまっている 民放テレビより


写真下段:首都圏でも液状化などで町がマヒ 千葉県浦安市で 民放テレビより

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