2011年3月6日日曜日

伊藤博文ゆかりの観音と知って、「久が原出世観音」へ







毎日通るルートに「出世観音前」というバス停がある。この年で出世など縁がないと思って通り過ぎていたが、伊藤博文ゆかりの観音と知って、興味が出て久が原出世観音(東京大田区久が原)にお参りしてみた。

久が原出世観音は、野村證券の寮を隔てて反対側にある。久が原出世観音と書かれた門をくぐり、細い整備された路地を入っていくとこじんまりと整備された庭に、古いお堂の佇まいが目に入る。お参りに必要な道具はそろっており、帰りには蝋燭に付けた火は消すように注意書きがある。

歴史的由来は、町の有志の方々が掲げる「出世観音菩薩由来」に頼るしかない。

それによると、築地新喜楽先代の「伊藤きん」は、悲惨な境遇の人間であったが、一方で仏門に帰依、禅尼として功徳を施し慕われたという。禅尼は常に大慈悲心を持ち、実践し世人の教化に邁進し、この浄地をこの地に求め、吉野の如意輪堂の観世音菩薩にもして、4000坪の広大な土地に数奇を凝らした如意庵を作り観喜閣、喜興庵などを作り、如意堂を建立し観音菩薩を奉詞、善事に邁進し、政財界その他知名紳士の信仰を極め、一大名所になったという。

伊藤博文が何故ゆかりなのかはっきりしなかったが、「伊藤きん」さんは、料亭「新喜楽」の先代と言われているが、吉原の花魁の出で、伊藤博文も名前が「伊藤」とも言うことで吉原時代から馴染みだったようだ。時の政治家が花魁まで手を出していたのだ。それが伊藤博文由来として伝わっているらしい。

今、麻生さんが総理であったときに、高級ホテルのバーで葉巻をくゆらせている習慣が、新聞などに報じられ物議を醸したことがあるが、今なら考えられないコトだ。

その後は、御多分にもれず荒廃のやむなきに至り、昭和20年5月には雄高を極めた建築物も爆撃にあい、如意堂のみが災難を逃れた。全地所が野村證券に移譲されたが、町有志の願いにより解放されたという。

政財界、知名人の信仰を極めたことから、出世や合格にご利益があるとされている。

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