2011年3月9日水曜日

民主政権の混迷:総理の政治基盤の弱さと大風呂敷の差別化政策


今の民主政権の混迷は、総理自身の支持基盤の弱さに加え「反自民」で何とか差別化しようとして大風呂敷を広げた政治課題にあり、18年前の細川内閣に重ね見るコトが出来る。

09年の衆議院選でマニフェストは、自民党とその差別化を競った。野党暮らしの長い民主党に正しい情報が入りにくかったことも事実ではあり、税収減が予想される財政状況の中で、マニフェストを推進するための財源問題も大きな課題であった。しかし、政権交代が現実味を帯びてくると、冷静さを欠き、財源は予算の根本的な組み替えで何とでもなると考えるようになったのも、ある意味でうなずける。

政権発足当初は、自民党政権時の予算案をいじくり廻していれば良かったが、いざ自分の政権で独自性を出した予算を組むとなると現実の壁は高く、自民党など野党からは財源不足の中での赤字国債に頼るバラマキ予算と批判される。

財源問題で、これ以上の赤字国債の発行は無理と感じた民主党執行部は、マニフェスト見直し委員会を設置し、今夏までに見直し案を検討するという。小沢系議員は「政権交代の原点回帰」「マニフェストを守れ」「国民の生活が第一」と菅執行部を突き上げている。

小沢処分での党内の抵抗、一兵卒のはずが、党の処分に判然と立ち向かう小沢さん、ここは皆一緒にがんばろうという小沢擁護、閣内からも「菅政権総辞職」発言が出てくるほど、党内崩壊が始まっている。

今の政界の状況は、18年前の細川内閣によく似ている。

その細川内閣の発足と崩壊から、小沢さんをはじめ今の民主党の連中は何を学んだのか。

自民党の長期政権への不満、国民にとっては許し難い政官癒着、総理自身の政治基盤の弱さ、小沢さんという黒幕の存在、そして急進的な政治改革など、今の民主党政権に似通っている。

18年前、自民党は単独過半数に達せず、社会党も半減、新生党、新党さきがけ、日本新党などが
議席を得、小沢さんが暗躍し、各党が連立に動いたが政治基盤の弱い細川さんが総理の座に就いた。内閣支持率は71%という高率を得た。

「政治改革」の実現を目指し、行政改革、規制改革、地方分権、景気対策に取り組み、税制改革にも意欲を見せた。何時の時代も改革は遅々として進まない。利権がらみを打ち破っての改革には、強い政治基盤が必要であるが、あわよくば「政治の主導権」を持とうと乱立する政治グループに、そんな内閣は期待できない。

今の民主党は、細川政権時の連立政党が民主党という統一政党の名の下に烏合集散しただけなのだ。

赤字国債を発行しないと公約した関係で、消費税増税が課題になったが、社会党などの反対で頓挫し、挙げ句は深夜の「国民福祉税」の発表となったが、政権与党内からの厳しい批判似合い、敢えなく引っ込めた。その後は、求心力を失い、佐川急便との借入金問題も追求される身になり、政権を放棄した。

総理としてはお粗末だった鳩山さん。家の教訓「友愛」を国の政治に持ち出し、コンクリートから人へ、公共事業の削減、日米対等外交など数々の急進的な改革に取り組んだが、如何にせん総理の資質に欠けていた。

菅さんは、市民運動出身で、新しい政治課題に飛びつく傾向が強い。社会保障と税の一体改革、APECで急浮上したTPPへの参加問題、選挙期間中の唐突な消費税増税論議に、政治主導のトーン。ダウン、更にマニフェスト見直しの開始と民主党政権交代の目玉政策は変質しつつある。

政権の求心力の低下は致命傷になる。何をやろうとしても出来ないのだ。

細川内閣の崩壊は、その後の混沌とした政局に繋がった。

政治基盤の弱い政権は、大きな政治改革は出来ない。議論をつくし、ゆっくりとした改革しかない
のだ。私達は時の政権に大きな期待はせず、着実な改革を期待すべきだ。

政党が提案するマニフェストも多くの期待は禁物だ。急進的な改革が一党の力で出来るわけがない。政権が交代する毎に政治の骨格が変わること自体に不安がある。

マニフェストが政権選択の当てにならないとすると、何に根拠を置くべきか。

候補者個人の公約、その人間性をよく見て、4年間で4億円以上の経費をかけても惜しくない人物をエアラバなければならない。

知名度、握手で騙されてはいけないのだ。

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