2012年9月25日火曜日

次々続く巨大地震・津波予測:1100年前の貞観地震(869年)の繰り返しから学ぶか

貞観地震の震源域は、何時起きても
不思議ではないと思われている宮城
沖地震の遥か沖合いを震源域とする
毎日新聞 2012.5.24

次々に続く巨大地震・津波予測は1100年前に発生した貞観地震が根拠になっているのか。東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)は、平安時代の869年に発生した貞観地震が1100年経って繰り返された巨大地震・津波の天災なのだが、あの寺田寅彦博士が「天災は繰り返される自然現象だが、時期、規模はわからない」と言うほど予測は難しいのだ。

3.11以降、専門家は何かが吹っ切れたように今まで「想定外」と思われていたM9,震度7クラスの巨大地震、30mを超える巨大津波の発生を次々と発表している。近いうちに起きるだろう南海トラフ関連の巨大地震も、東海、東南海、南海、日向灘の4連動はおろか、南海トラフ沿い地震を加えた5連動も可能性があるという。

その背景には地震考古学、古文書史学、地質学などの専門家の研究に負うところが大きい。

産業技術総合研究所によると津波で運ばれた砂などの堆積物から東北太平洋岸の津波被害は、紀元前390年、430年、869年(貞観地震)、1500年頃の津波によるとみられ、450年と869年の貞観地震による津波の規模は東日本大震災と同程度と見られるという(河北新報 2011.5.18)。

しかし、貞観地震では、津波で運ばれた砂などの堆積物から仙台、石巻平野は海岸線から3~4㎞、南相馬市では1㎞以上内陸に津波が到達したと見られていたが、更に1~2㎞内陸に及んだ可能性が高く、他の巨大地震の津波も想定されている(同上)。

遺跡調査からも貴重な巨大地震の痕跡が見つかり、古文書などの記述から地震が想定されてもいる。

皿沼西遺跡 住居跡に噴砂で地割れ
が残っている
産経新聞 2012.3.14
平安時代の818年に記録に残る関東最古の大地震が起き、上野国(今の群馬県)などでは噴砂が起きたらしいが震源地はわからなかった。ところが、埼玉県深谷市の皿沼西遺跡で住居の床などが噴砂で切り裂かれ壊れているのが見つかり、818年の地震による被害とわかった。謎の首都直下地震が貞観地震の前に起こっていたのだ(産経新聞 2012.3.14)。

このように巨大地震は連続して発生する危険があるのだ。

地震は固め打ちすることがあり、東日本大震災に誘発された震災が続く可能性が十分あると専門家が警告する。現代の地震活動は貞観地震の発生した9世紀と非常に似ており、9世紀にあって近年起きていないのは首都圏と南海トラフだと警告する(毎日新聞 2011.8.31)。

9世紀の発生した震災と
今世紀に入ってからの震災
を比較、首都圏と南海トラフ
関連がまだ発生していない
と言う
毎日新聞2011.8.31
震災の世紀に入っているのだ。

この宮城県沖では地震調査委員会が、30年以内にM7.5前後の地震が発生する確率を99%と予測していた。東日本大震災が発生した時には宮城県沖地震が起きたのかと思われたが、震源域が違っていた。貞観地震の震源域はさらに沖で、宮城県沖から福島県南部沖まで長さ200㎞、幅100kmと見られていた。これは津波の痕跡調査からコンピューターで再現した震源域の検証結果だった(毎日新聞 2010.5.24)。

それまでは、この近辺でこれほど巨大な地震・津波が起きるとは考えられていなかったのだ。

それでも古文書には貴重な情報が残されている。

「日本三代実録」に貞観地震が記録されている。それによると、「貞観11年5月26日、夜にもかかわらず、発光現象が起きて昼のように明るくなった。家の倒壊や地割れで生き埋めになり、多数の被害者が出た。・・・多賀城の城郭、倉庫、門、櫓、壁は崩れ落ち、被害は数えることもできない。荒れ狂う海は渦巻きながら膨張し、巨大な波はまたたく間に城下を襲った。どこが地上と海の境だったかわからず、今や道も野も水の中にある」と言う。東北地方はこの時期を境に住む場所は大きく変わり、村ごと、町ごとの移転が現実に起きていたのだ(讀賣新聞 2011.5.18)。

チョッと心配な記述がある。発光現象が起きたというのだ。今新しい資源としてメタンハイドレートの存在が脚光を浴びてきたが、地震等で海底の断層が動けばメタンハイドレートの層も崩れ、メタンガスとなって大気中に出て着火することも考えられ海溝型地震では要注意なのだ。

貞観時代とは違って震災による被害の種類と規模は大きく違ってくる。港湾施設、船舶類、タンク群、海岸線まで密集する住居、地下深くまで潜っている地下鉄などの交通網、超高層ビル群などまだ本当の被害は経験していない。

唯一の経験は、収拾のめどがつかない福島第一原発事故だ。

22年前の1990年に東北電力は女川原発の増設に絡んだ調査で、津波が残した砂などの調査から、貞観地震による津波は仙台平野では海岸線から3㎞程度が浸水する規模のものだったことを報告していたのだ。これから女川原発の津波想定を9.1mとしたそうだ。

東北電力は浪江・小高原発を68年に発表していたが、ここで津波調査をやっていれば福島第一原発の危険性も分かった可能性があるが、住民の反対で実施しなかったという(河北新報 2011.5.30)。

東北電力の小高原発を反対したために、かえって福島第一原発で危険な目に合っているとでも言えるのか。

「想定外」を避けようと専門家は出来る限り最悪の事態を予測するようになった。言い換えれば責任逃れをやっているのかと疑問に思っていたが、地震考古学、古文書研究、地質調査から総合的に判断していることがわかり、今世紀には必ず起きる巨大地震、巨大津波に身構える姿勢が必要だ。

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