2014年1月25日土曜日

安倍首相施政方針演説「はじめに」を読んで:重要なのは最澄の「一隅を照らす」精神か


第186回通常国会が24日招集され、安倍総理の施政方針演説「はじめに」を読んで、比叡山延暦寺を開いた最澄の「一隅を照らす」に通じるものがあることに気が付いた。我々国民も当然であるが、国会議員、国家公務員は特に留意しなければならないことだ。

安倍首相施政方針演説
その「はじめに」で南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領の「アパルトフェイト撤廃」を不屈の精神で成し遂げた足跡を評価し、「可能性を信じ行動を起こす。一人ひとりが自信をもって、それぞれの持ち場で頑張ることが、世の中を変える大きな力になると信じます」と安倍首相は言う。

この言葉はどこか最澄の「一隅を照らす」に通じるのだ。

国民一人一人が、それぞれの置かれている立場で最善を尽せば、平和で明るい社会が実現するというのだ。

もう40年も前の話だが、家族4人で京都旅行で比叡山延暦寺に寄った。根本中堂を案内の僧侶とまわったとき、「一隅を照らす」という看板が柱にかかっていた。僧侶は「一人一人が置かれている立場で最善を尽くせば、世のため、自分のためになる」という意味のことを話してくれたと思う。

そして暗い中で法燈がたかれていた。もう1200年も絶やさず燃えているという。油断すると油が切れて灯が消え大変なことになる。「油断」という言葉はそこから生まれたのだといったはずだ。

その時はあまり感じなかったが、続けて三千院を見学したときに、「一隅を照らす」と記されたパンフレットをもらった。

めくってみると説明がされていた。人々を幸せに導くために「一隅を照らす国宝的人材」を育成するために最澄が書いた「山家学生式」に見ることができる。

国宝(こくほう)とは何物(なにもの)ぞ
宝(たから)とは道心(どうしん)なり
道心(どうしん)ある人(ひと)を
名(な)づけて国宝(こくほう)と為(な)す
故(ゆえ)に古人(こじん)の言(い)わく
径寸十枚(けいすんじゅうまい)、是(こ)れ国宝(こくほう)に非(あら)ず
一隅(いちぐう)を照(て)らす
此(こ)れ即(すなわ)ち国宝(こくほう)なり

訳せば次のようになる

国の宝とは何か。宝とは、道を修めようとする心である。この道心を持っている人こそ、社会にとって、なくてはならない国の宝である。だから、中国の昔の人は言った。直径3センチの宝石10個、それが宝ではない。社会の一隅にいながら、社会を照らす生活をする。その人こそが、なくてはならない国宝の人である。

政治でいえば国家公務員も国会議員も私利私欲、省利省益に走ることなく、国民のために自分の置かれている立場で最善を尽くすことだ。

私たち国民にも言えることなのだ。今、東京都知事選で高齢者介護が候補者の公約に掲げられている。ある候補者は特別老人ホームを充実させるといえば、ある候補者はコミュニテイーで介護する方法を考えるという。どれが正しいとも言えない。両方ともに必要ではないか。高齢者同士が助け合いのできる街作りも大切だ。それぞれの立場で社会に貢献できる人材にならなければならないのだ。

国会議員は国会が閉会になると赤字財政にもかかわらず、大勢で海外研修と銘打って遊びに出かけることはやめて、比叡山で「一隅を照らす」研修をやったらどうか。一宗教を優遇することはできないだろうが、勉強のためならいいだろう。

施政方針演説を読んでみると、好循環実現をめざしいろんな施策が提案されているが、国民、国会議員、国家公務員、財界の人たちが一隅を照らす精神で対応しなければ成熟社会での実現は難しい。





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