2016年9月20日火曜日

今日の新聞を読んで(26):「お年寄りと呼ばないで」に同感だ

讀賣新聞 2016.9.19
私も「65歳以上」で年寄り、高齢者の仲間入りだが、「年寄り、高齢者と呼ばないで」には本当にそう思う。孫を連れて保育園に行くと「○○のおじいちゃん」と呼ばれる。以前、高速道をスピード違反でオービスに捕まったとき、警察から出頭の依頼があったとき「年齢より若く見えますよ。良く写っています」と言われたときは「嬉しさと怒り」が交差した。

新聞報道によると、日本の高齢化のスピードが速いと言う。65歳以上の高齢者が3461万人になり全人口の27%になると言い、内女性は30%を少し越えた。高齢化のスピードもイタリア6.2ポイント、ドイツ6ポイントに比べ日本は2倍の12.7ポイントの増加だという。

でも65歳以上を一様に高齢者と言うには実感が伴わないのは当然だ。元気な人はたくさんいる。だから70,75歳に基準を上げろという。

年寄り、高齢者というと「常に足手まとい、お荷物」とみられがちだ。医療費高騰で社会保障費関連も40兆円を超えた。地震津波、洪水などの災害時は避難を手伝ってもらわなければならない。高齢者対策で何時も避難計画が停滞する。若い人が犠牲になることもあるらしい。

でも「面倒を見られる」から「面倒を見る」側に立つ人もいるのだ。

地元自治会の防災訓練に出でみたが、活躍する人は高齢者だ。消防組織の幹部も65歳だという。マンションが建つが若い人は参加しない。震災時には、救援物質は自治会単位で配られるが高齢者で役目が果たせるのか。

マンションがドンドン建つが、入居する人は若い。何も分からない若い人が管理組合、理事会の役員になるから「管理会社お任せ」でマンション運営に支障を来している。経験を積んだ高齢者の知恵が必要なのだ。

町筋をきれいにしようとするのはお年寄りだ。毎朝、家のまわりを掃除する。小学校へ登校する子どもには「おはよう」と声を掛ける。子どもは「おはようございます」と返す。

町を歩いていると、コンビニやスーパーの買い物袋を下げたお年寄りを見かける。サッサと歩いている人もいれば、塀により沿ったり、公園のベンチで休む人もいる。でも外に出る元気があるのだ。

そういうお年寄りの姿を見ると、自分はどうなるのだろうと何時も感じる。
東京都大田区でも買い物難民の問題はある。スーパーは遠い。軽トラでの移動販売に頼る人もいる。遠い田舎で僻地の話ではないのだ。

医者に行けば年寄りばかり。整形外科などはリハビリで繁盛している。窓口支払いが1割負担だと100円で済むが、医療費を考えると1000円になる。高齢者も考え直さなければと思う。私も3割→1割→3割と窓口負担に惑わされた。

公園でラジオ体操し、朝早くから散歩するのも高齢者だ。まだまだ高齢者が生かされる社会を作らなければと思う。

どこかの自治体で高齢者と言う言葉を辞めて「長寿課」にした記事を昔読んだことがある。

社会保障、高齢者、お年寄りというと何か「憂鬱さ」を感じるが、仕方ないことなのか。


余り家族や他人の手を煩わせない生活に心がけなければならない。願うは「ピンピンコロリ」だ。

0 件のコメント: