2016年9月12日月曜日

「加藤の乱」で思い通りの政治が出来なかった加藤紘一さん?

自民党の元幹事長、加藤紘一さんの死去をカーラジオで知った。思い出すのは「加藤の乱」だ。その後失脚し思い通りの政治が出来ぬままこの世を去った。
野党の不信任案決議提出に自民党の有力者が賛成しようというのだから自民党重鎮は潰しに掛かった。

宏池会という名門派閥の長で、自民党有力者、総理候補と言われた加藤さんが、どうしてその後が読めなかったのか。

思い出すのは、野党提出の森内閣への内閣不信任決議案に対して同調すべく、ホテルで宏池会が総会を開いていた。加藤さんは「自分一人で行くから皆さんは留まれ」と言うと、派閥の議員らが加藤さんの所にかけより「止めろ」と止めにかかった。谷垣さんが横から「あんたは大将なんだから」と涙声で止めている姿は今も思い出す。

加藤さんは、歯を食いしばり涙ぐんでいた。

このときはYKKと言って、山崎、小泉、加藤さんがグループを作っていた。山崎さんは加藤さんに同調し山崎派を率いていたが、小泉さんは裏切ったことになる。自ら潰しにかかったのだ。この経緯は当時のメデイアが報じていた。

加藤さんは当時、自民党の重鎮からは評価され将来の総理候補と言われていたのだ。

森さんは加藤さんの訃報を聞いて、「私は機会ある毎にりベラル派、総裁候補だと海外でも紹介していた」と言い、「どうして急いだのか」と残念がった。野中さんは当時、自民党幹事長で加藤さんの動きを潰しにかかったが、「総裁候補なのだから今は自重しろ」と説得したそうだ。古賀さんも同様だった。

それにもかかわらず、加藤さんは何故、急いだのか。

当時の森総理は、小渕さんの死去を受け、森さんを始め4人が密室で協議し、小渕さんが死ぬ前に森さんに「後を頼む」と言ったという。小渕さんの禅譲で総理にと言う運びだったのだ。

しかし、入院したときから会話は出来ない状況で、密室でのたらい回し政権と批判された。それに「神の国」発言で野党は一気に不信任決議案提出に到ったのだ。

加藤さんの政治信条に反した自民党政権に嫌気がさし、倒閣するには自民党ではダメで野党に頼るしかなかったのだ。

「政治とは思うように行かないものだ」と一番分かっていたのが加藤紘一さんだったのだろう。


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