京大で公道に並んだ学生らの立て看板を撤去し構内の指定場所に移す事が騒動になっている事を知った。公道にやたらに看板を立てることは街の美化に関わる問題があるが、東大の時計台前広場での立て看板浄化作戦が参考にならないか。
京大前の東一条(?)から京大前を通り吉田山への公道、時計台周辺、立て看板は街の美観に支障を来すことは問題だ。一時は東一条のグランドの石垣の上に人間が座れるテントを張っている姿を見たことがある。
学生が何を考え、どうしようとしているのか。主張する場も大事ではあるが、公道ではなく大学が指定の場所を指定しているのだから特別に「表現の自由」を侵害しているわけでもない。
テレビの映像では大学側が「勧告書」を張ると直ぐ、学生が破る行為が映し出されたが、学生もモット大人になるべきではないか。こんな既得権などない。
思えば東大の時計台前の立て看板撤去、クリーン作戦が参考になるのではないか。
時計台前、構内、時計台下の食堂に多くの立て看板が立っていた。環境も悪く、こんな汚いところで研究できるのかと疑ったほどだが、しばらくしてクリーン作戦が実施され、今はきれいで静かな環境を維持されている。クリーン作戦は成功裏に終わったようだが、いまでは東大の学生は何を考えているのか分からなくなった。
憲法9条改正、働き方改革、安倍政権に対する批判など学生がどう対応しようとしているのか分からなくなったのだ。当時のことを知っている人間は「学生は今何をやっているのか」と不審に思えるだろう。
昔は安保、大学管理法反対などで賑わったものだ。最近はシールズとか言う学生グループが国会前広場で反対運動を行っている。
学生とは言え決してノンポリであって欲しくないが、京大の学生の場合も公道での美化は守らなければならない。学生だから特権は認められない。社会のルールは厳守すべきだ。
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