文科省はデジタル教科書に関する中間報告の骨子案をまとめて有識者会議に諮問、2024年以後に小中学校で教科書に採用するという。「持ち運びやすさ」、「拡大表示」に利点があるというが、先行した海外では「集中力」「学習効果」に疑問が出たという(読売新聞2021.1.31)。
文科省は「すべてデジタル化に変更」「紙との併用」などの案を考えているという。菅総理が「デジタル化」を提案しているので点数稼ぎに文科省も教科書のデジタル化を提案したのではないかと思うと反対だ。あるいは利権者が働きかけているのか。
やっぱり基本は「紙」の教科書でデジタルは補助教材だ。専門家も完全に身に付ける知識は紙だという。
紙に印刷された活字の文章を何度も読み、理解する。筆記用具で紙に文字を書く。これが教育の基本だと思う。紙を止めれば資源保護にもなるし、ごみの削減にもなるという屁理屈も出るだろうが、紙資源の中で教科書にどのくらい使っているのか。身の回りを見れば無駄な使い方が一杯ある。
10年以上前だったか、家電量販店でデジタルブックというか、電子書籍を言うか忘れたが、販売員から説明を受けたことがある。
「ページをめくるのもこうやる」「マーキングキングをつけることも出来る」、付箋がつけられるかどうかは忘れた。でも本全体の姿が描けない。「どの辺にどういう記述があったか」をめくって探すことに不便なようだった。
価格は本一冊買うのに2000円ぐらいかかるが、デジタルでは安価なことは確かだ。ジャパネットタカタのテレビ通販の宣伝を見ると大量の百科辞典類、参考書、辞典類が1万円足らずの電子辞書に収められているのを見ると驚く。
しかし、こういった便利な道具を重宝すると知識の劣化どころではなくなる。
今、ワードで文章を書くが、だんだん漢字が分からなくなってきた。最後は「感じ」で「漢字」を探し変換するのだ。文章作成も紙に鉛筆で書くときは間違わないように、文章も直さないようにしっかり構想を練って書き始めるが、ワードだといくらでも修正することが出来るから安易な文章構成になる。
紙に筆記具では漢字もしっかり覚え、文章も最初からしっかりした構成にしなければならない。簡単なようで難しいのだ。
昔の人は漢字もしっかり書くし、文章もきちんとしている。
デジタル技術も進めば通信添削教育も端末を使ったデジタル化が進む。孫はゲーム感覚でやっている。親に「勉強はやっぱり紙と鉛筆だ」と言うと、同じ考えで「そうだ」と言って紙の教育資料と紙での党案提出に変えた。
勉強の基本は紙の教科書と鉛筆だ。補助教材はデジタルでも構わないと思うのだが・・。
私もかなり本を買って読むが、本と言うものは不思議で一度家に入ってくるとなかなか出ていかない。本棚がいっぱいになると床に積読ことになる。昔買った本でも「タイトル」から今は役に立たないか、時代遅れになった本から処分することにしている。
また、新聞で必要な情報は切り取ってパソコンに保管することにしているが、パソコンにいったん保管すると開いてみようという気にならない。一方、切り取った記事をしばらく机の上に置いておくと読み直す気になるのだ。
やっぱり紙の資料は重要なのだ。
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