2012年7月6日金曜日

東電・福島第一原発事故調査:無知と慢心から来た「人災」


「原発事故は人災」と報道する朝日新聞
2012.76

国会原発事故調の報告書の「人災」、「関係者のあってはならない無知と慢心」、「地震が原因の可能性」の指摘は納得のいくものであった。6日の各メデイアのトップ記事タイトルに「人災」の文字が目につく。記録に乏しく、関係者の記憶に頼らざるを得ない調査には多くの支障もあっただろう。先の東電事故調査報告では天災、想定外、官邸介入で東電は被害者という立場で責任回避の立場をとっていたが、これで東電の主張は総崩れだろう。

巨大な地震、津波災害に加えて、あってはならない放射能汚染を伴う原発事故は未経験のことで、当時現場、東電本店、官邸は相当混乱していただろう。

当時、NHKの国会中継を見ていたが、予算委員会室の照明がグラグラ揺れ、室内は騒然となり、委員長が休憩を宣言したかどうかはわからないが、菅総理を始め大臣があたふたと部屋を後にした映像が思い出される。

そのあとは、情報収集に混乱する官邸の様子が想像できた。情報入手は、とりあえずはテレビ中継画面だけという状況ではなかったのだろうか。国民に情報を発信しようにも、十分な情報が入ってこないのだから菅官邸の焦りも大きかったのではなかろうか。

国民に適切な情報を流すことを考えると、当然のことながら「自分の目で現場の状況を確認したい」、「福島第一原発の現場責任者と話したい」という願望は、批判の大きいところであるが、強かったに違いない。

実際に非常事態が発生し、自分が最高責任者で情報も十分に入ってこない状況に置かれたらどう行動するか。菅総理でなかったらうまくいっていたのか。

どの事故調査も官邸の異常介入を批判しているが、国の最高責任者としては仕方のない行動だったのではないか。むしろ素人(?)の介入に対して毅然とした態度で事故対応にあたれなかった東電のプロ(?)としての自覚の欠如が批判されるべきではないか。

それにしても今回の原発事故は緊急事態対応で色んなことが明らかになった。

危険な巨大技術を駆使する原発事業にあって、関係者の異常なまでの安全意識の欠如、安全の先送りは、東電に原発事業を担わせる資格はない。

お座なりの訓練しかやっていなかったために、思ってもみなかった緊急事態に組織は右往左往するばかりだった。

原子力安全・保安院、原子力安全委員会、経済産業省など規制する側、危機対応する東電側も自分の立場、役目を失念し、事故の巨大さに唖然とし、不作為に陥り事故拡大防止に役立つ行動ができなかった。

これだけ情報技術、手段が発達している状況下で、トップレベルにあると思っていた官邸の危機管理システムが、国民の安全を守る目的に役立たなかったことは危機管理に対する国の考え方に大きな欠陥があったことになる。


当時、携帯電話が唯一の連絡手段、情報入手手段だったことを聞いて驚いたものだ。

最終報告では、原子力法規制の抜本的見直しなど提言が盛り込まれているが、問題は危険な巨大技術の運用に対して「安全意識」を持った人材の育成が大切なのではないか。特に東電の経営者の安全意識の欠如には大きな責任がある。

今、原子力規制委員会のメンバーの選考が進められるようだが、原子力村排除の一環として寄付金、講演料など貰っているかどうかが選考条件になるらしい。しかし、問題はその人が安全に対してセンスがあるかどうかだ。原子力ムラの人間であっても安全に高度の注意義務を持った人間であればいいのではないかと思うのだが。

今後、蔑に原発再稼働が進むのか、フェードアウトするのか。次の選挙で争点になるだろう。原子炉を廃炉するとなると電力会社の債務超過をきたし、電力供給という公益事業に支障をきたしかねないとも言われている。国民は厳しい選択を強いられることになる

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