2012年7月5日木曜日

東京・大田区馬込:文士村より江戸城・築城候補地に興味


馬込文士村散策案内
地下鉄都営浅草線 西馬込駅

東京・大田区馬込は、尾崎士郎、宇野千代が新居を構えたのを始め、関東大震災後多くの作家、画家など著名人が移り住んだということで文士村として紹介されているが、江戸城築城の候補地にも挙げられた経緯もある地域だと知り、どんな土地なのか興味が出て散策に出かけた。

私の住んでいる久が原から呑川を渡り仲池上2丁目の急な大尽坂を上り、下ると第二京浜に出る。この大尽坂付近は財産のある人たちが住んでいたということで名ずけられたらしい。この付近一帯は高台、谷の起伏にとんだ地域だ。

国道に出ると、都営地下鉄浅草線の西馬込駅がある。入り口には馬込文士村案内の大きな掲示板があるが、今まで気にも留めなかった。駅で散策マップがないか聞いたが用意されていないという。

馬込文士村散歩
区立郷土博物館の設置された案内
案内板を読むと、馬込は昔から九十九谷と呼ばれ、丘、谷が複雑に入り組んだ起伏の富んだ地で、大根畑、雑木林からなっていたらしい。都会から離れたこの九十九谷に尾崎士郎、宇野千代が大正12年にやって来たらしい。それ以降多くの作家、芸術家が移り住んだという。

昔は武蔵の国の馬の産地でもあり、狭い道をこえるということで馬込となったらしい。また、この辺は遺跡、古墳も多くみられる。生活が活発な土地でもあったのだ。

仕方なく案内板から、方向を決めて商店街を下ることにした。この商店街が馬込文士村商店街という。坂を下っていくと低地(谷)に着き、今度は3方向で上りだ。2人連れのママチャリのお母さんが、下りは話しながら下ってきたが、上りになると無口になった。結構急で長い道のりだ。

雑木林に囲まれた出世稲荷神社の側に「おいはぎ坂」がある。今は民家と墓地に囲まれているが昔は、通行人がたびたび追いはぎにあったということで名づけられた。雑木林と神社、大根畑、墓に囲まれた砂利道の坂を想像すると、さもありなんと思う。

起伏の激しい土地だ。坂を下ると
谷で、3方向が上りになる
海抜数mから40mの高低差がある起伏を生かそうと、大田道灌が江戸城の築城候補地にも上げたそうだ。これと言った資料は見当たらなかったが、大田観光協会の「馬池洗」・まちあるき地図に記載がみられた。

何で起伏にとんだ場所がいいのか。今の江戸城跡を見ると、確かに起伏がある。巨大な石垣の構築、要所要所に門を設けることで防衛ラインを確保できるのだ。外濠は大川(隅田川)の両国橋付近から水を引き、内壕は永代橋付近から引いて、東京湾(江戸湾)に注いでいる。

この馬込も高低差が十分に確保できる。水は多摩川から引けばいい。特に徳川家康は、灌漑用水路の構築に力を注いでいて、この辺には六郷、二ケ瀬用水路も整備されていたというから申し分ない。

1600年頃というと、海岸線は大森付近だったか。海路で物資を運ぶには適しているし、多摩川からの搬入もできる。

何故、候補から外れたのかはわからないが、ここに江戸城ができていたらどうなるか。考えただけでも面白くないか。
おいはぎ坂
昔は、雑木林、大根畑、神社に囲まれた
砂利の坂 追いはぎに襲われたらしい

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