2021年1月27日水曜日

東京オリンピック中止論の是非(2):IOCは国民に寄り添う気持ちは無いのか

 

IOC会長、森組織委員会会長などオリンピック関係者は日本国民に寄り添う気持ちはないのか。IOCバッハ会長は開催に向け強引な発言をしているが、オリンピック招致運動のときのことを忘れたのか。 

東京候補地は日本国民の盛り上がりに欠けると難色が示された。これではダメだと政府はじめ、盛り上げに成功し、招致を勝ち取り東京オリンピック開催にこぎつけたが新型コロナウィルス感染で延期、今回再延期か中止かの瀬戸際だ。 

そして今、日本では80%の国民が世論調査で「中止」か「再延期」を希望している。盛り上がりに欠けるのだ。 

IOC関係者は感染拡大防止に当たり、開催方式で観客の「上限なし」「50%」「無観客」の3方式を検討しているという。おまけにアスリートなど大会参加者にワクチンを優先接種する案まで出てきたがWHOはダメ押しした。

万一、誰かが感染しクラスターが発生したとき、医療施設はどうなるのか。期間中もさることながら大会が終了しアスリート、大会関係者、観光客などが去った後に日本中に感染拡大の恐れが無いのか。しかも世界各国から変異株が入ってきたのだ。 

「平和の祭典」など言っていられない。オリンピックを開催する意義などないのだ。 

国際体操競技大会では、著名なアスリートが「開催中止よりどうすれば開催できるかを考えてほしい」とアスリートの気持ちを代弁した挨拶をしたが、本当は言わされていたのか。 

早い時期の「延期すべきだ」と言ったJOC理事の山口さんも国民の大半が五輪の中止、再延期を要望している。感染拡大に伴う緊急事態発出や変異型への懸念から「残念だけど難しい」というのが冷静で現実的な考えではないかと主張している(朝日新聞2021.1.26)。 

IOCなどが国民を置いてきぼりにした前のめりの姿勢にはスポーツ本来の価値実現より別な理由があるのだろうと見られているとも言う(同上)。

同感だ。 

そのIOC の古参委員のデイック・パウンドさんはもう延期はない。今年開催するか中止かの二者択一だという。日本では開催を疑問視する声が上がっているが、アスリートのことも考えてほしいというのだ(朝日新聞2021.1.27)。 

委員は、日本はコロナや自然災害を経験しているが、多くの人が日本に集い競い合う姿は多くの人に訴えるものがきっとあると総理がいう「コロナに打ち勝った証として」の発想と同じだ(同上)。 

IOCの幹部連中は弁護士の資格を持っている。自分から中止を言い出してIOC事業に損害を掛ける発言だけはしたくないのだろう。アスリートのためというが自分の立場が第一なのだ。 

誰が最初に言い出すか、そのきっかけを誰が作るか。アスリートの前に一国民であることを忘れてはいけない。国民の協賛がなくして何がスポーツなのか。

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2021.1.23掲載

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