2011年10月22日土曜日

議員や記者の質問は、国民の判断材料になるのだ



国会議員や記者の質問は私たちの判断材料になるのだが、その質問力が劣化しているのではないかと思えることが多い。どんな場合でも馴れ合わず、怖じ気ず、ポイントを付いた質問を期待したいが出来ていない。外国人記者の可笑しいと思ったらトコトン突いて来る根性を見習い、国民に正しい情報を提供すべきではないか。

先の国会審議をテレビ中継で見ても、フリップまで用意して質問する姿は視聴者を意識したものだが、質問での突っ込みがたりない。「もうチョット押せば」と思うのだが、時間がないので次の質問に行きますと言って中途半端に終わる。

各党の質問者が同じ質問をするので、答弁も「先ほども言いましたように・・」で始まる。

党首討論でも、自民党の谷垣総裁が、不完全なまま質問を打ち切ったために、身内から「もっと質問しろ」との野次が飛んだほどだ。案の定、翌日の新聞では評判が悪かった。

記者会見でもテレビや新聞の報道は、ある場面でのみの報道で全体のことが分からない。したがって、真実がどうかは分からない。おまけに司会者が質問者を選り好みするので、ヨイショ質問しか報じられない。

10月6日の小沢氏後半後の記者会見も物議を醸している。あれほど検察を批判しながら、肝心の4億円の原資については、詳細を知っている検察に聞いてくれと人を食ったような答えをしていた。

そして、国会での証人喚問への出席を聞かれて、「三権分立」を楯に出席を否定した。さらに、質問した記者に「よく勉強して筋道立てて質問してください」と逆襲した。これに記者はどう反論したかは分からないが、小沢さんの悪い面が出たと評する議員もいたらしい。

確かに憲法62条では、議院に国政の調査権が規定され、何人も正当な理由がない限り応じなければならないことになっている(議院証言法第一条)。しかし、現行の裁判事件に関連して司法を干渉し、司法の独立を侵してはならないというのが通説だ(憲法Ⅰ 法律学全集 清宮 有斐閣 昭和39年3月)。

その点に関しては、小沢さんの主張は正しい。しかし、立法に関して政治資金規正法の改正や運用についての調査であれば、なんら問題はないのではないか。裁判に関している箇所は「裁判中なので」と拒否すれば済むことだ。小沢さんの器の小ささを感じさせる頑なな拒否と国民には映る。

兎に角、議員や記者の質問力が劣っているのは分かるが、思い出されるのは外国人記者の質問のやり方だ。

田中角栄元首相が、外国人記者クラブに招かれた丁度その頃、立花さんの「田中角栄 その人脈と金脈」という記事が文芸春秋に載った。

当然、外国人記者は、その記事に関してコメントを求めると、田中角栄元首相は「納得のいかない部分もある」と答えた。すかざす記者は「納得のいく部分もあるのか」と、質問が次々に飛んだ。これを機に日本の政治を変えてしまったという(この項 globe.asahi.com 特派員日本を走る 2009.4.6)。

外国人記者は言う。「不正があれば追求することだ。時には無礼なほどの質問をする。そうして国民に対し、選挙のための判断材料を提供している」と。

日本人記者にも、マスコミの役目をしっかり考えてほしい。国民に正しい判断材料を提供してほしいのだ。

写真:小沢氏公判後の記者会見を報じる朝日新聞 2011.10.7

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