2015年6月16日火曜日

憲法学者よ 御用学者のレッテルを貼られるな

憲法学者よ御用学者のレッテルを貼られるな。政権とは距離を置き政権を監視する役目も大切なのではないか。安保関連法案への3 人の憲法学者全員が「違憲」と断じて以来、憲法学者の考えが大きく注目を浴びることになった。法案が「合憲か」「違憲か」は国の根幹に影響する問題で有り平素からの憲法学者の姿勢が問われる。

どんな学者であれ国の政策を決める○○審議会、有識者懇談会、○○会議、○○諮問会議などのメンバーに選ばれると自身にも箔が付くので受けることは別に問題はないが頻繁に登用されると政権寄りの御用学者のレッテルを貼られる。

政策に関して意見聴取されるときは、政権や各野党に推薦された学者が呼ばれ発言する。

自民党の勝手な論理だが考えと異なる発言をすると、「人選ミス」「素人」と批判され最後は「国民の命、生活を守るのは政治家であって憲法学者ではない」というのだ。

この考えを国民はどう思うか。「何を言っているんだ」と正論を吐く人もいるけど「そうなのか」と納得する人もいるだろう。

朝日新聞(2015.6.16)の「政府の合憲主張「憲法の原則と衝突」の記事の中での長谷部先生、小林先生の再批判が面白い。15 日の日本記者クラブでの記者会見での発言を伝えている。

それによると、長谷部先生は、「自分の都合の良いことを言った参考人は「専門家」、都合の悪いことを言ったら「素人」と軽蔑されると政権、自民党からの数々の批判に反論した。面白いことに一昨年の特定秘密保護法の審議の時は賛成の立場で自民党の参考人を務めたことに触れて「素人」である私を呼んだのは人選ミス、制定の経過に重大な欠陥があった以上は秘密法案も廃止すべきだ」と自民党を痛烈に批判した。

この日本記者クラブでの長谷部先生達の発言を読売新聞は取り上げていない。読売新聞は渡辺さんが政権に頻繁に呼ばれて会食したりする政権寄りの考えに立っているので一切報じなかったのだろう。

今回の法案を公明党と詰めた責任のある自民党の高村副総裁も「国民の命、生活を守るのは政治家の責任で憲法学者ではない」ことを強調するが従来の自身の「憲法観」とは不一致の発言が目立ち窮地にかかっている。テレビ画面を見ると人相も良くなく責任が余りにも大きすぎる感じだ。

政治家や権力者の暴走が先の太平洋戦争へ日本を導く結果になり、その反省からポツダム宣言を受諾し現在の平和憲法が生まれたが、今、その解釈が変化し政治家や権力者への縛りが弱まり戦争へと日本を危険に晒す第一歩に入ろうとしている。

確かに政権が言うように今の国際安保環境は厳しさを増している事は事実であり憲法も時代の要求に応じて解釈する事も重要ではあるが、現憲法に政権が拘束されることには間違いない。

一方で、その朝日新聞に「合憲」と主張する数少ない憲法学者の百地さん、西さん、長尾さんの主張が掲載された。

それによると、学者の解釈は私的解釈に過ぎず国は異論に縛られず防衛の責任を持つべきだという。憲法学者は私的解釈をすると言うことは憲法学者の存在を否定する考えではないか。憲法の解釈は通説、判例、少数意見として専門書では解説しているはずだ。

更に、国民の権利が根底から覆される明白な危険がある場合に限れば、集団的自衛権は行使できると憲法解釈の変更を認めているし、憲法の条文に照らして解釈すれば今回の法案は憲法の枠内と訴え、長谷部先生や小林先生が数十年前の見解をズッと持ち続けていることに驚くというのだ。

政府見解を変えてはいけないというルールはないとも言うが、今回の安倍政権のやり方は「立憲主義に反しており違憲」ではないのか。

合憲派の3 人の主張は余りにも勝手すぎ理解しにくい。19 日に記者会見して「違憲論」に反論すると言うがこんな考えで大丈夫なのか。

テレビ朝日の報道ステーションが15 日、200 人弱の憲法学者の違憲か合憲かのアンケート調査を発表した。確か3 人が合憲、15 人が違憲の疑い、残りが違憲だったと思う。

憲法学者の私的解釈とは言え合憲と判断する憲法学者がたったの3 人とは驚きだ。安倍政権は極々少数派の見解に則っても「国民を命と生活を危険に晒す」安保法案に突き進むのか。

国会審議を見ていると野党にとっては攻めにくい様子だ。国会審議は大体政権側が有利だ。のらりくらりと肝心な点をはぐらかす答弁をしていると審議時間の80 90 時間は過ぎてしまう。ここは国会外で学者、有識者らが「違憲」を訴える運動を起こすべきだ。安保闘争の時のように学生に頼ることは難しい。でも若者も声を上げるべきだ。


憲法を生かすも殺すも国民がどう憲法を守るかにある。

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