2015年6月15日月曜日

多数決の住民投票は理想的な民主主義ではないのだ

多数決の住民投票は理想的な民主主具なのか。議会で政策を決定するのが難しくなり間接民主主義の限界が見えてきたとも言われるが、直接民主主義である多数決による住民投票が本当に理想的な民主主義なのか。

廃棄物処理場建設、防音校舎のエアコン設置そして大阪都構想の賛否を問う住民投票の実施が目新しいが、大阪都構想はわずか1万票差で否決された。投票率が50%を越え、投票結果は多数決となると1票差でも賛否が決まることになる。

本当にそれでも良いのかと疑問が出てくる。

そんな時、朝日新聞(2015.6.14)の読書欄で「多数決を疑う・・社会的選択理論とは何か「(坂井豊貴著 岩波新書)への評論家・武田さんの書評が目についた。

それによると、多数決は必ずしも多数の意見を反映していないとして、2000年の大統領選でゴアさんが負けた例、そして96条による憲法改正での国民投票を例に本当の多数意見として正当性を得ているかどうかを論述している。

そして、過半数の賛成を条件とする96条では「弱すぎ」、より改憲のしにくい方向へ改正する必要があるというのだ。

その条件とは64%の支持が必要だと言う。

そこで大阪都構想での住民投票の結果を見てみると、反対が706000票、賛成が695000票で大阪都構想は否決されたが、約51%での否決で64%に達していないことを考えると民意を反映していないことになるのか。

確かに当初はメデイアの調査によると否決が多数であったが、これに危機感を持った橋下さんらが支持へ向けてのいろんな裏工作をしたと報じられている。宗教団体へ支持を訴えたり、大企業へ支持を訴えたり、官邸へ支持を働きかけたりして後半戦に有権者の動きに変化があったのだろう。

十分な情報がないままに投票所へ行かなければならなかった住民の苦悶は分かるが、裏工作は本当の民意を妨害する行為ではなかったか。

逆に、朝日新聞(2015.6.7)のGLOBE「住民投票 それは良薬なのか」で2010年に実施された佐久市の総合文化会館建設の是非を問う住民投票を見ると、投票率は55%、70%以上の反対で建設中止が決まった。この場合は64%を越えているので民意を反映していると言えるのか。

この佐久市の場合は、情報公開が重要な要素だったという。役所も中立的な立場で情報を公開、賛否には触れず「投票所へ行こう」の運動になったという。逆に住民は「皆が決めたこと」と判断の責任を市民に転嫁するのではないかと感じるようだ。

この大阪都構想の住民投票は憲法改正の是非を問う国民投票の予行演習だとみられているが、国民投票の結果は過半数が条件になっているが、これでは民意を表したとは言いにくい。もっとハードルを高くする必要があるのではないかと示唆に富む言及をしている。

今の安倍政権の集団的自衛権行使容認が憲法学者らにより「違憲」と断じられ野党も勢いづいてきたが、衆院選では経済政策に力点を置き特に憲法改正、集団的自衛権で国民に信を問わなかったが、圧倒的多数の議席を得て、集団的自衛権の行使に軸足を移してきた。
選挙公約に書いてあるのだから信任されたと同じだと強弁する。

この書では、「多数決で決めたから民主的」「選挙で勝ったから民意」とする強引な姿勢は寧ろ民主主義を壊すと警告する。

一読すべき書だ。国民投票も過半数ではなく、もっとハードルを上げた条件での評定をしなければ民意を誤ることになる。


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