アインシュタインの E=mC2は戦争の抑止力になっているのだろうか。1年のうちの今、また広島、長崎の「原爆の日」、「終戦の日」を迎え核兵器、戦争がニュースの主流になってきた。原爆投下時の映像、太平洋戦争の映像を見る度に惨いことを経験し2度とこう言うことにならないよう「平和」を訴える重要性を再認識する。
アインシュタインがE=mC2を発表したのが1905年、その後「物体は自分の質量をエネルギーに変換させ放出することが出来る」ことが分かってアメリカ、ドイツが巨大な破壊力を持つ原爆開発に熾烈な争いを繰り広げていた。
そしてアメリカは1945年8月6日広島、9日に長崎に原爆投下した。更には1954年ビキニ環礁で水爆実験をおこない不運にも近くの禁止区域外の海域で操業していた第五福竜丸が死の灰を浴び乗組員が原爆症に襲われた。
原爆投下が戦争を終結させたのか。賛否両論あるが太平洋戦争終結に結びついたのは確かだ。しかし原爆を使ったことに対しては批判が大きい。
日本で始まった平和運動は世界に広がり「核兵器禁止」を訴えるが核抑止力の考えは衰えない。我が国も米の「核の傘」のもと、核抑止力を中心とする米国の拡大抑止は必要不可欠としてきた。
そして「持たず」「持ち込まず」「造らず」の非核三原則を執っているが、今回の広島の平和記念式典では安倍さんの挨拶で言及しなかったことが問題になり長崎では追加した。
この非核三原則は長く採用しているが、以前米国の艦船が日本に寄港するときも装備したままではないかという疑問が出ていたが政府は「米国の艦船が日本に寄港するときは装備していないという米国が説明している」という理由だけで「持ち込んでいない」としているが、今では皆持ち込んでいることは知っている。
イラン、北朝鮮の核開発も続いている。
イランの核開発は米国の主導で決着が付いたようだが、北朝鮮は核開発、核ミサイルで米国、近隣諸国に脅威を与え続けている。米国が直接交渉に乗ってこないことに不満を持ってのことのようだが、いつも騒いでいないと忘れられる哀れな国だ。
イランの核開発問題が決着したことは、今審議中の安保関連法案へも影響している。安倍総理は当初イランが機雷によるホルムズ海峡を閉鎖することに対してホルムズ海峡掃海を前提にしていたが、その前提がなくなったことになりこの法案の前提を見直す必要が出て来た。
長崎市長は、「核の傘」から「非核の傘」へ転換を求め政府に核抑止力に頼らない安全保障の検討を求め、今の安保関連法案に慎重な審議を訴えた。
また、新聞報道によると被爆者代表は「今回の法案は「戦争元年」とも表現すべき危機感を禁じ得ない。私たちは何回も撤回を求めてきた」という。これに対して安倍総理は「国民の命、平和な暮らしを守るために必要不可欠、圧倒的多数の諸国から支持と評価をいただいている」と言い返した。
国民の60%がこの法案に反対であるが、安倍さんは諸外国の支持で突き進んでいるのか。
長崎平和宣言で「「戦争しない」という平和の理念は永久に変えてはならない原点」と強調した。
世界中を見ると戦争状態か紛争状態か分からないが国民が貧困にあえぎ、難民として隣国に逃れる悲惨なニュースが毎日報じられている。
紛争の主導者は何を求めているのか。宗教の教えを忠実に守っているのか。自分たちの支配圏の拡大を狙っているのか。領土問題か。世界の平和でも願っているのか。それにしても「どうしてこんな紛争を」と思うことが多い。
ノーベル経済学賞受賞したクルーグマン先生は、「戦争を主導する指導者は戦争による損得勘定が出来ない人間のやることだ。算数が苦手なのだ」とそのコラムで言ったことがある。
核兵器のない、武力によらない対話による安全保障は、一部の主導者を除いて世界の誰もが願っていることだ。
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