2017年3月6日月曜日

今日の新聞を読んで(66):3.11東日本大震災の災害復興、防災移転の難しさ

年々、震災、災害の規模が大きくなる。それにしたがって災害復興、防災移転も難しくなっている。3.11東北地方太平洋沖地震発生から6年、防潮堤建設、港湾施設の整備、交通網の整備、そして海岸から山間部への集団移転、街作りの進捗状況は防災、災害復興事業の難しさを新聞は伝えている。

海岸部に建設する14mもの巨大な防潮堤建設は、住民から反対され6mに下げられた。住民に言わせれば「毎日海を見て生活してきた。これじゃ海が見えないじゃないか」と言うことなのだ。

海岸部から山間部に新しい街作りで移転しなければならなくなった人たちはコミュニケーションを大事にしたいと言うがなかなか難しい。人口は減る一方、商売にならない不安から事業継続への意欲がなくなる。

讀賣新聞(2017.3.6)の「高台に新しい集落」の記事の中の震災前の泊地区の64世帯203人が震災後住宅のデザインが統一された新しい泊地区「結の丘」に移転する写真が載っていた。

統一された町並みは何か無味乾燥な感じがし、震災前のいろんな家が混在する町並みのほうが人間らしい、生活感のうかがえる町並みではないか。

今までの被災地の復興はどうだったのか。確か昔、三陸沖地震、津波被害で大きな被害が出たが、いつの間にか震災前のような海岸縁の街作りになった。巨大な被害を受けてもその場で復興され、そして数百年後も同じ災害に遭うことになった。

一時は、被災直後は反省から山間部へ移転が始まる。行政も新しい街作りに努力するが、いつの間にか役所の担当者も替わり、住民も仕事場と住居が離れていることに不便を感じるようになり段々海岸縁に住居を移すようになり、従来の街作りと同じになった。

そして数百年の繁栄(?)を享受するのだが天災は繰り返す。三度同じ災害を経験するのだ。たしか寺田寅彦博士が随筆で書いていたはずだ。

私もこういう事態になったらどうしようかと不安になる。
私の住んでいる東京・大田区はM7クラスの首都直下型地震21タイプのうちで首都圏に大きな被害をもたらす危険があると言うことで「都心南部直下地震」の断層帯が大田区から品川区へ走っていることが想定されることになった。

そこで東京も危険で何かあったら避難場所として群馬に一軒家を残し維持管理していたが、ここも栃木県から群馬県にかけて大久保断層が近くを走っていることが発表された。

私も決して安泰ではないのだ。

天災となると寺田寅彦博士の随筆が読みたくなる。「天災と国防」を開いてみた。

3.11東日本大震災、M7クラスがほとんど同時に2回発生した熊本地震、猛威を振るう台風、豪雨による水害、何か安心を脅かす黒雲が水平線の向こうからこっちを狙っている「非常時」だ。

天変地異の「非常時」は具体的な目前の事実として惨状を暴露するというのだ。今は「悪い年回り」だが、「良い年回り」に十分な用意をしておく必要があるが忘れがちなのだとも言う。

昭和9年の随筆だ。

博士は言う。「天災による損害は各人の損害であって、その回復もめいめいの仕事、又、めいめいの力で回復できないような損害ははじめからありようがない」と。昭和9年頃は街も大きくはなく、損害も小さかったはずだ。だから、めいめいが被災した土地で復興すれば良かった。しかし現在は被害も巨大だ。個人で復興できる人もいるが、多くの人は年配者、生活弱者で国の助けが必要だ。


南海トラフ地震、その前に内陸型巨大地震、首都直下地震がいつ来るのか。GPS異常値、電離層での電子数異常観測で事前に予知できることが出来るか。

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