3.11東日本大震災後、自民党・谷垣総裁(当時)が、民主党・菅内閣(当時)に入閣していたら、政治も変わっただろうか。そんなことを思い出させる谷垣さんの講演での内容が朝日新聞に掲載された。
それによると、谷垣さんは自民党総裁として、3月11日直後は菅総理から連立を申し込まれたら受けざるを得ないと考えていたそうだ。しかし19日に要請があったと時は入閣を断った。谷垣さんはお互いにもう少し理解し合っていれば、別の展開もあっただろが、与野党の党首が「あいつは、どんな男なんだ」と思っているようでは、それは不可能で、お互いに努力不足だったと述懐しているのだ(朝日新聞2013.10.9)。
それ以降の民主党政治も、自民党・安倍政権ができるまで与野党はもちろん、同じ政党内で政治家同士がにらみ合い、主導権争いを繰り返す。谷垣さんも自民党内にあって「自民党の顔か」とその存在を疑問視される疲弊した政治が続いた。
政治家同士がお互いに理解しあう努力は、「国家の一大事に協働しあうことが出来るかどうか」につながるのだ。
3.11の大惨事にあたり、野党である自民党とも連立を組んで対応すべきだという菅総理(当時)の考えは正しかったと思う。
でも、民主党政権は与党内のゴタゴタ、マニフェスト問題、おまけに政権のたらいまわしで支持率は下落し、政権崩壊は目の前という状況で、谷垣さんが副総理格、復興担当大臣で入閣することは、落ち目の民主党政権を助けることになりかねないという自民党の姑息な考えがあったようだ。
実際に、福島第一原発の事故処理では、菅総理が現場視察を急いだために、現場のベント対応が遅れて水素爆発を招いたという疑惑までもちあがっていた。
思いもかけない大惨事に、政治家はもちろん、政権を助けて震災対応に当たらなければならない官僚組織も右往左往するばかりで危機管理が全くできていない状況下では、谷垣さんも復興担当相としての入閣に尻込みしたのではなかろうか。
新聞には、「そこに至るまでの心境の変化は、今申し上げる段階ではない」と言う。当時の新聞では、電話で入閣の打診をしたというが、こういうことは人を立てて打診するべきだったと進言した閣僚もいたそうだ。「電話で失礼だ」と谷垣さんは思ったのか。
今、被災地復興は被災者と行政の考え方の違い、被災地復興計画、汚染除去計画の遅れで避難生活を余儀なくされている人もまだたくさんいる。
復興予算が復興目的外に流用された事案も明らかになり、被災者の気持ちを踏みにじる結果になった。
一方で、小泉進次郎さんが復興政務官になり、現場視察では有名人見たさ(?)のフィーバーぶりには驚く。そんな中で陳情していた年配の男性もいるのだ。
政治に検証はつきものだが、「もし谷垣さんが、入閣していたらその後の政治はどうなったか」。
この大惨事に、「野党として政権を批判ばかりしていてはダメだ。自民党も存在を示せ」という考えはあったのではないか。
でも、危機管理のできていない国家組織、自民党政権からの原子力行政の欠陥が丸出しでは、谷垣さんが入閣しても何ら変わらなかったのではないか。
ただ、菅さんは唐突に消費税10%を提案したが、自民党も消費税10%を公約していたのだからそこは与野党同じだが、自民党は政権を担っていなかったために選挙で消費税増税の批判を浴びることはなく、民主党と大きな違いになった。もし連立だったら批判は同じだったか。
また、民主党には、最大勢力で反主流派の小沢グループがいた。ことごとく政権の足を引っ張る状況では、連立もうまくいっていたかどうか。自民党自身が嫌小沢ではやりにくかっただろう。
菅政権が引いて野田政権になると連立も解消していただろう。
自民党の総裁選はどうなっていただろうか。実際には同じ執行部から谷垣さん、石原さんの2人が立候補することは避けたいと谷垣さんが辞退した。石原さんは意外にも自民党長老に人気があり、総裁への最有力候補だったが、能力には疑問を呈する者が多かった。麻生さんの「平成の明智光秀」発言は石原さんの評価を落とすきっかけになった。
苦難の野党時代を背負ってきた谷垣さんにとっては総裁選辞退は苦渋の選択だっただろう。安倍総理は、希望する法務大臣で報いた。
我が国も、安倍政権になってやっと「ねじれ国会」も解消し、政権運営が楽になってきたが与野党党首はお互いに理解しあえる間柄である必要はあるのだ。
米国の債務上限問題で民主党と共和党がぎくしゃくし、お互いに主張が平行線でデフォルトの危機に面していることを考えても、谷垣さんの言うように「お互いにもう少し分かりあっている」必要があるのではないか。
政治は国民のためにあるのだ。
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