2013年10月16日水曜日

「決められる政治」の安倍総理に期待出来るか

「ねじれ国会」解消で「決められる政治」の安倍総理に期待出来るか。クルーグマン教授は、「決められる政治」で安倍総理が率いる経済政策を絶賛し、成功すれば「日本は世界の希望になる」と大きな期待を寄せる。今回の米国の債務上限引き上げ問題で「決められない政治」のオバマ大統領だが、現実にデフォルトがあっても日本なら致命的ダメージを受けずに済むはずだという(週刊現代2013.10.26)。

「低金利下での金融政策は効果がない」というのが経済学界の常識(?)に反し、安倍総理は大胆な金融政策、インフレターゲット2%を提唱し、日銀もマネタリーベース2年で2倍の緩和政策に出て、目論み通りの円高から円安、株安から株高へ市場は大きく転換し、輸出産業から活況を呈してきた。

この結果は、安倍総理に「日本経済を託しても良い」という大きな期待を抱かせた。続く選挙でも大勝し念願の「ねじれ国会」解消、野党の弱体化もあって「決められる政治」が出来るようになった。

でも、本当に「ねじれ国会」は駄目だったのか。「ねじれ」があったために政治を監視することが出来たのではないか。政策の問題点が明るみに出たこともあったのではないか。

「決められる政治」は、小泉政権で目の当たりにした。小泉さんは国会の所信表明演説でも「反対する者は抵抗勢力」と手を振り上げて言い、メデイアを通じて反小泉の動きを制した。自民党議員は「抵抗勢力」とレッテルを貼られるのを恐れて、小泉さんのなすがままにした。

その結果、郵政民営化もおかしくなり混沌とし、グローバリゼーション、アメリカかぶれの政策は格差社会を増長した。

その後の政権では「決められない政治」が続いた。

「決められる政治」に変わったのかと思えるのが、民主党・野田政権の末期だ。消費税増税に向け、「その前にやることがあるだろう」「マニフェストに掲げていない」など批判を強める党内最大の反対派グループと手を切って、増税への路線を進めた。

野田さん自身も「決められる政治」ができたと力説した。

党内で敵対する勢力、政権と党のゴタゴタ、次の政権を狙う野心のある議員などが「決められない政治」の根源である。民主党は当初から権力の二重構造と言われ、安定政権への危惧は大きかった。それでも野田さんは、国際公約の手段を使ってでも消費税増税を進めた。

一方、安倍総理は、今のところ経済政策がうまく行って高い支持率も堅持し、派閥の領袖を閣僚に登用することで党内では安倍総理に刃向かう勢力はいない。総裁選で争った石破さんも官高党低で存在感が薄くなった。

選挙で「ねじれ国会」状態が解消したのだから、何でも出来るのだろう。やっと臨時国会が開かれたが、3ヶ月も国会審議なしに重要な政策が決められていく異常な状態が続いたのだ。

「決められない政治」にも、その背景にはいろんな民意があるのだ。

「決められる政治」、「決める政治」は国民も望むところだが、国民目線を忘れた独断専行的政治の推進は民意が離れていくことに注意しなければならない。津々浦々までアベノミクスが浸透していないことも安倍総理にとっては、不安の種なのだ。

クルーグマン教授は、先進国で自分の打ち出す経済政策を採用してくれるのは日本の安倍総理だけなので、その手腕を絶賛している。アベノミクスを「経済学は分かっていないが、政策の大方はただしい」と以前評価していた。

しかし、来年4月には物価高に加えて増税が家計に負担になってくる。TPPも思ったような内容にはならないらしい。集団的自衛権行使容認、憲法改正、今国会では秘密保護法、日本版NSC、産業競争力強化法案などが焦点になるらしい。そして国土強靱化政策で公共投資も増えそうだ。財政再建が要求されている一方での財政出動は赤字の積み上げにならないか。

経済成長で税収増、家計への再分配を目指すと言うが、それまで安倍政権が持つのか。「決められる政治」にも「国民目線」が大事なのだ。アベノミクスへの過大は評価は止めて、冷静に経済政策として見直してみないか。



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