2011年9月1日木曜日

政権たらいまわしは、民意を反映しているのか







民主党代表選は、見にくい権力闘争を目の当たりにした。野田さんは「ノーサイドにしましょう。もう」と言ったが、国民は「政権たらい回しは止めましょう。もう」と言いたいのではないか。自民党時代からの政権のたらい回しは、もう4回目だ。法的に問題はないと言うが、民意を反映出来ているのか。

憲法第67条第1項には、「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」と記されている。これだけ読めば、国会が議決し、指名すれば次々に政権のたらい回しをすることが出来るように思える。

例外は、内閣法第9条「内閣総理大臣に事故があるとき、又は内閣総理大臣がかけたとき、予め指定する国務大臣が臨時に内閣総理大臣の職務を行なう」と規定されている。副総理格で入閣とか言われているのはこれを言うのか。

安倍さんから福田さん、福田さんから麻生さん、鳩山さんから菅さん、菅さんから野田さん。公開討論会などで政策の主張をしあうが、その期間は非常に短い。イベントとしてやったと言うだけのことか。

何故、国民に信を問わず、議席の多数を占める政党から次々に総理をタラいまわしするのか。

麻生さんの時に、たらい回しが問題になったが、国民の代表者が集まる国会で議決し指名するのだから、法的には何ら問題はないという結論になったと新聞で見たことがある。

しかし、国民世論と永田町の意識には大きな乖離があり、国会議員だけの選挙では、民意が反映されていない畏れがある。良い例が、民主党代表選で小沢さんと菅さんが争ったときだ。国会議員だけでは両者の差は6票だったが、地方議員、サポーターが加わると圧倒的に菅さんが優勢な結果に終わった。

今回の民主党の代表選でも、世論の人気度トップは前原さんだったが、人気度下位の野田さんが選出された。35万人の地方議員、サポーターも加えた選挙になったら、前原さんが選ばれていたかも知れない。

親小沢vs反小沢で根深い抗争を繰り返す民主党にあっては、国会議員だけの選挙の方が票の読み、票の確保には好都合なのだ。今回も御多分にもれずえげつない手が使われたようだ。自民党の伊吹さんをして、「悪いときの自民党以上に悪い」と酷評したほどだ。

確かに、一度国民の信を問うて政権政党が決まれば、4年間はその政党が総理を何回替えても良いような気もするが、今回の代表選、総理選びは少し場刈るが様子が違う。

鳩山、菅政権で民主党政権は国民の信頼を失っている。菅降ろしは、野党ばかりでなく与党である民主党内からも吹き出した。2009年のマニフェストを財源不足で見直すことは、民主党内の内部抗争の原因にもなっているし、政権交代の根拠が薄弱になった事は確かだ。

ここは、4年間に次々に総理を替えるのではなく、民主党は見直したマニフェストを掲げ、総選挙で国民に信を問うべき局面であった。

「この難局に、政治空白をつくって良いのか」という考えもあるだろうが、国民の直接の信を得ていない政権が続くこと自体が異常であり、あらゆる事が批判される事こそ政治空白を作ることになる。

政権のたらい回しは、もう御免だ。

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