2011年9月3日土曜日

民主党政権の課題:政治手法も自民党時代へ回帰か



民主党政権の2年は、政権交代は出来たが政治手法は失敗の連続で、自民党時代に回帰する傾向があり政治改革は無理だった感がする。ドジョウや金魚の話で代表→首相の座を射止めたわけではなかろうが、野田政権が発足し、菅さんは「もう官邸には来ない」と言い残し官邸を去っていった。

結局はポピュリズムで政権に就いたのは良かったが、綱領らしきモノもなく、間違った政治主導で官僚機構を利用できず、確固たる信念もなく、未熟な政治力、野党時代の追求と整合性を欠く主張は国民の信頼を失い続ける結果となった。

最大勢力の小沢グループとの距離をどう取るかによって政権の不安定さが露呈する事になり、国民を相手の政治をする傍らで、党内抗争にも大きな力を配しなければならない不安定な政権になった菅政権だった。

この反省から、挙党一致、全員野球が叫ばれ、バランスの取れた人事も反主流派の要求する大臣の椅子なのだ。野田さんは人選に当たって、「適材適所」を繰り返すが、「安保に素人だが、これこそ文民統制」と経験不足を露呈した防衛相が、どうして適材適所なのか。

今回の組閣は、民主党最後の政権かも知れない崖っぷし政権であるが、小沢さんの党員資格停止処分による党内不満分子の存在は、適材適所人事を殺ぐ結果にもなった。岡田さんの官房長官、財務相人事を断念した事は残念なことだったが、従来なら代表選立候補者を要職で処遇することが当たり前だったが、今回は海江田さん,馬淵さんの入閣が無かったことは当然だろう。

海江田さんは、小沢グループに取り込まれたことで、自分の信念とは裏腹の政策を強要された結果、自らの政治生命を危うくする結果になったし、馬淵さん共々入閣は、政策の閣内不一致を野党から追及される怖れもあった。

鳩山政権、菅政権を反面教師に、政治手法も変わりそうだ。

政策の一元化は失敗だった。小沢さんは政府へ一本化しようとしたが「役職に就けない
議員は何をすればよいのか」、「自分たちにも政策を論じたい」という意見は当然であり、菅政権で大臣兼務の政調会長が復活したが、野田政権では政府の政策決定に強い権限を持つ政調会長の復活となった・・自民党時代への回帰だ。

輿石幹事長が言うように党内融和も大事であるが、政策での党内不一致をまず解決すべきである。

何が何でもマニフェスト順守、増税反対、約束は守れと言う一方で、財源不足からのマニフェスト見直し、経済情勢を見ながらの増税の主張など党内を二分して対立している。

小沢さんの主導した2009年のマニフェスト作成、菅さんの重大な政策を根回し不足で
表明する姿はリーダーシップと言うよりも政治力の未熟さを露呈させだ。野田政権でも小沢グループから入閣した者もいる。国会が開かれれば野党の追及にあうだろう。

財源不足でのマニフェスト見直し反対で、増税も反対では、一体どうして国民との約束を守れるのか。

そして、クリーンなはずの民主党が、鳩山、小沢、前原そして菅さんまでが「政治とカネ」のスキャンダルを目の当たりにし、更には菅さんの疑わしい団体への巨額の政治資金供与は、如何に政権交代のための拠出だとしても大きな疑念を国民に植え付けた。

又、間違った「政治主導」は、官僚のサボタージュに会い巨大な官僚機構の力を十分に活用できなかった。原子力震災対応では、データの共有が不完全で災害の拡大、近隣住民の避難に大きな障害となったし、ガレキ処理などの遅れも非難される結果になった。

事務次官会議は、官僚の横暴の象徴のように見られ次官会議は廃止されたが、その弊害は大きく、震災復興対策で各省庁連絡会議を立ち上げたが仙石さんの失脚でうまく稼働していない。そのため官僚を動かすために事務次官会議のようなモノを復活させるらしい。

民主党2年間の政治改革は何だったのか。タダの政治空白を作っただけのことだったのか。いろいろやってみたが、自民党時代への回帰が手っ取り早い解決策なのか。

安保、防衛、普天間問題、外交、財政再建、増税、震災復興、原発震災対策、TPP,円高対策、経済成長、公務員制度改革、更には「ねじれ国会」での政策推進などすべて難しいテーマであるが、野田内閣は一つ一つ前へ進める事ができるのか。

写真:野田政権発足を報じる読売新聞 2011.9.3

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