2014年6月24日火曜日

理研・STAP細胞不正事件(7):私たちは「科学者の言葉」を適切に読んでいるか

STAP細胞不正事件で発せられる小保方さん、笹井さん、若山さん、その他の科学者の言葉を私たちは適切に理解しているのだろうか。そんなことを思い起こさせる記事が目にとまった。読売新聞(2014.6.24)の論点で東大教授の佐倉さんの「STAP細胞騒動の教訓 「科学者の言葉は適切か」」だ。

それによると、科学と言う営為は科学的知識を生産する活動で、生産プロセスと生産された知識の特性があるが科学者以外の人に認識されていないというのだ。

論文を出すと査読され刊行される。そして再現性の検証(何十年もかかることがある)を経て確立された理論となり教科書にものり、科学の知識となるのだ。

時間をかけて少しずつ彫琢される。ある/ないが単純に決められないのだ。特に研究が細分化されると断定できる度合いも小さくなる。したがって物事はあいまいになっていくというのだ。

そこで科学者は「ないと断定できない」という。これが科学者の「掟」であり「誠実さ」なのだが、「ある」という証拠が出てこなければ「ない」という社会一般の常識とはかけはなれていることになる。

だから科学者の発する言葉を適切に私たちが読み解くことが大事になってくる。

翻って小保方さんのSTAP細胞不正事件を考えてみよう。

小保方さんは「STAP細胞はあります」、「200回以上成功している」と言い、笹井さんは「ES細胞、i
PS細胞では考えられない現象」を3つ上げて「信頼性のある仮説」と言う。

「ある」という証拠は出せていないし、再現性もまだ確認されていない。一方で論文の改ざん、捏造から理研は「論文撤回」を勧告した。

一方、共著者の若山さんは自から保管していた細胞の遺伝子解析から「STAP細胞の証拠なし」と断定したが、「絶対にないとは言えない」と「科学者の誠実さ」を持っている。

小保方さんは体調を崩して(?)入院、笹井さんは週刊誌などの記者から逃げ回っている。弁明記者会見をすれば責任逃れ、「疑惑を晴らす証拠」は出せない。科学者の誠実さうを微塵も感じさせない。

これからすると、若山さんの「絶対にないとは言えない」発言に科学者の誠実さを感じるが、小保方さんや笹井さんの言葉、各機関の「ES細胞の可能性」から「STAP細胞はない」と判断するのは誤っていることなのか。

小保方さんや笹井さんが「STAP細胞の存在」を示す新たな証拠を上げない限り、私たちは「ない」と判断せざるを得ないのではないか。








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