石原環境相の「金目」発言に批判が集中しているが、その背景には政治決着は「金目」の悪しき政治慣習があるのではないか。汚染土を保管する中間貯蔵施設建設で「最後は金目でしょ」と発言し「無神経で許しがたい発言」と福島県民、野党から批判が上がり、衆院では不信任決議案、参院では問責決議案提出の動きが出て来た。
石原さんの不用意な発言が、野党共闘まで発展しそうだ。
私もしっかり考えもせずに、安直に考えている石原さんの発言は許されるものではないと考えるが、今までの政治決着は「カネ」で解決するのが政治の常道だったことも関連しているのではないか。
計画が揉めれば懐柔策として最後に物を言うのだ。
今は亡き自民党の要職にあった金丸さんが、政策で国会が揉めると札束を持って野党を周り打開策を探った。金丸さんは、カネを「政治の潤滑油」と表現した。カネで民主政治がねじ曲げられることは民主政治にあってあってはならないことと思うのだが。
公共投資でも、本体工事以上に周辺工事にカネを使うことは常態化している。
今原発は批判の的になっているが、原発建設を強行するためにもカネがばらまかれた。建設賛成派の住民が「泥田にツルが舞い降りた」と言ったものだ。
普天間飛行場の移設問題で賛成派、反対派で大揉めであるが利益誘導、懐柔策が激しくなるだろう。
外交でも同じで、政治決着は「金目」であるのは我が国政治の悪しき慣習である。
政治家も国民もそれが身に染みついているのだ。
石原発言で政治の「金目」に風穴を開け見直すきっかけになれば良いが。
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