解散権は憲法でどうなっているのか、専権事項は自分にあると誤解して解散をあおる安倍総理、選挙基盤が弱く選挙を回避したいビビる野党、最高裁は高度の政治行為として判断を避け、最終的には国民の判断になるが、大義名分のない選挙を批判しない民主政治のレベルの低さを露呈する日本なのか。
安倍総理は永田町に解散風が吹き荒れているとみると面白がって「解散風は誰にもコントロールできない」と暗にやるかもしれないと野党をけん制する。
一方野党は今解散されると選挙基盤も弱く体制も整っていないために不信任案提出も躊躇する。党首討論で「不信任案を提出するぞ」と追及すれば総理は「解散」を言い出すかもしれないと危惧、会期末が迫り国会延長がされないとみると不信任案提出を言い出した。
安倍政権になってからの解散を考えると予算案や重要政策で与野党が意見を異にして解散、国民に信を問うのではなく、ほとんどが「野党潰し」で野党の議席数を減らすのが目的だ。
学者も指摘するように民主主義の未熟な国では内閣が解散権を乱用する危険があるというがその通りの日本だ。低開発国の軍部によるクーデターと同じだ。
昨日、参議院での安倍総理の問責決議案の審議をテレビニュースで見たが、自民党の反対討論での三原じゅん子議員の発言には驚いた。これが今の自民党かと思うと安倍自民党政権こそ潰さなければならないと思う。
そのそも内閣の解散権は、内閣が主張する憲法第7条天皇の国事行為を内閣が助言承認することに求めるか、一方69条の内閣不信任決議で解散するか、総辞職するかが選択されることに求めるかだ。
ところが、現憲法を作成したGHQは69条を根拠とする(1948年 吉田内閣「慣れない解散」)。やっぱりここは現憲法に問題があるとはいえ、憲法作成者の意見が妥当だ。
違憲判決権を持つ最高裁は「解散は極めて政治性の高い行為」として判断を避けた(1952年吉田内閣「抜き打ち解散」)最高裁はいつも政治的に難しい判断は避ける傾向にある。そりゃそうだろう、任命権は内閣にあるのだ。
恣意的な行使に歯止めをかける必要も出ているが、そんなことに内閣は動くはずがない。参院でうまく審議が進まなくなったとみて衆院を解散してしまった内閣もある(小泉内閣?)。
最終的には選挙時に国民がどう判断を下すかだが、自民の勝利を考えると大義名分なき解散を支持しているのか。国民の政治レベルの低さを表している。
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