2021年4月1日木曜日

小さな記事の大きな課題(25):復興庁に「知見班」新設? 経験を他の災害に活かすか

 

復興庁は東日本大震災、東電福島第一原発事故からの復興に関わる硬直した組織だったが、硬直化の批判にこたえて、今度復興に当たって得た教訓や反省から他の災害に活用するために「知見班」を新設する新しい体制を発表した。

震災後、政府は復興に力を入れる姿勢を示す為に新設した役所だったが、事故処理だけではどうしても消極的になるし仕事が決まってくる。前向きな分野ではないので意気も上がらないか。もう10年も経過した。 

先日までは各メデイアは復興に関する検証記事をたくさん載せた。 

検証記事を見て目立つのは復興と計画とのミスマッチ、予算の無駄遣いだ。 

一番の問題は、新しい街づくりを造成した高台に構築、住宅地、商店街、役所公共交通施設を整備したが、10年の空白は大きい。整備しても人が戻ってこないのだ。 

当然だ。要は被災地は将来過疎化が進むと言われていた地域だ。いくら投資していいものを作っても住民は戻ってこないし、他の地域から人は集まってこない。 

地場産業を復活させるにも、すでに販路は他へ移っている。取り戻すのは大変なのだ。 

各地で巨大な防潮堤を建設した。しかし、これには住民の反対もおおかったようだ。高い防潮堤では海が見えず日常生活に支障をきたすという。 

また新しく、さらに高い津波が押し寄せる災害も予測されている。基本的には災害を技術で抑え込むことは無理なのだ。 

災害に対しては、「防ぐこと」より、まず逃げることが基本なのだ。 

復興住宅にも問題があった。建設場所では従来のコミュニケーションを維持するのは困難だ。土地の制約からマンション建設もされたがこれが評判が悪い。 

また、役人のよくやることで、復興の目的外の無駄遣いがある。役所の焼け太りだ。 

今回の災害対策での復興で一番困ったことは役所の復興要員の不足だったらし

い。他県からの応援に頼らざるを得なかった。 

救援物質の集配業務もボランテイアに依存しなければならないが、「必要なところに必要なものを」は難しい。 

そして、被災構築物を記念に残す計画もあったが、多くは実を結ばなかった。維持管理、もう見たくないという感情は大きい。 

そこで力を入れるのが防災教育だ。津波災害に逃げ遅れて犠牲になる人が多かった。先人たちは「グラッと来たら逃げろ」と教えていた。教えに従った人は助かった。小学校、幼稚園で先生が判断を誤り多くの犠牲者が出たことも記憶に新しい。 

こういった反省を南海トラフ巨大地震、首都直下地震にどう生かすか。それが「知見班」の主要な仕事になるか。 

誰だったか、名前は忘れたが復興大臣で「東北地方で起こってよかった。これが首都だったら大変なことになった」と言う意味の発言をして辞任していた。 

批判が大きかったが、考えてみれば「本当のことを言った」のだ。本音だ。 

設置の目的はわかる。政府、自治体の復興計画の検証も大事だ。しかし、各自治体、防災研究所などがそれぞれ検討もしている。それらとの整合性をどうとるか。 

復興庁の生き残りのための「知見班」であってはいけない。

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