政治家は災害のとき国民あるいは被災者に「寄り添う」とよく言うが、今回の菅政権の福島第一原発の放射能汚染水の海洋投棄決断も漁民に「寄り添う」判断だったのか。
通常、漁民、被災者に「寄り添う」とは、漁民、被災者に「悪いようにはしない」ということと判断するが、今回はどうなのか。
辞書を引くと「寄り添う」とは、「そば近くに寄る」と言うこと。放射能汚染水の処理に多くの政権がかかわり、漁民と話し合いを進めてきたこと自体は「寄り添う」ことだった。7日の菅総理が全国漁連の岸会長と話し合いしたことも「寄り添った」ことになるが、結果は漁民の意に反して海洋投棄だった。
漁民は風評被害を心配、今までの9年間は試験操業で本格操業を目指していたと言う。死活問題なのだ。
専門家は幾度の会議で処理法を検討したが、希釈して海洋投棄がコスト的にも一番安く、現在稼動している原発では海洋投棄なのだ。IAEAも認めているし、東電は国の排出基準より更に低い処理水にして投棄すると言う。
風評被害が無いように国は努力するが、万一出た場合は東電が保障すると言う。
今まで先延ばしして対応してきたがタイミングが迫ったようだ。
後2年で今保管しているタンク、場所が満杯になり今後の廃炉作業に支障をきたすことになるし、海洋投棄にも2年間の準備が必要らしい。
切羽詰っての漁民への期待に反する結果になったが、政治が言う「寄り添う」とはこういうことなのだ。
政治家は被災者の傍に行って、考えを聞き、頷いていれば言い訳ではないのだ。ある人達を犠牲にしてでも多くの国民に利する判断を下さなければならないのだ。
政治とは犠牲者の上に立って成り立つ民主主義なのだ。
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