今日の新聞で17日の最高裁の「原発事故 国の責任認めず」の判決の内容が明らかになった。この判決を理解するためには当時の原子力行政の国と東電の力関係が大いに影響している。
今回の判決は、2002年の政府の長期予測の信頼性はある。東電の子会社の技術者の最大15.7mの津波が押し寄せる予測も合理性がある。しかし、国が東電に命じたとしても津波ははるかに大規模だった。たとえ設置したとしても同じ事故は起きた可能性がある。
だから、国家賠償法での違法性はないという。
そこで問題は国が東電に対策を命じたとしても当時の東電の経営陣が素直に受けるかどうかだ。それに関連する旧経営陣3人に対する裁判が今係争中である。旧経営陣は政府の長期予測を信用していなかった。若手技術者のシミュレーション結果を経営陣を含めた会議で説明されたかどうかも争われている。
当時の副社長は、土木学会に検討依頼し、対策を先送りしたのだ。そして他の原子力事業者にも「防潮堤の強化をしない」という情報を与えた。しかし、他の事業者は長期予測を信頼し、それなりの対策をしたようだ。
この背景には東電の原子力事業のパイオニア、リーダーとしての矜持が会ったのだ。
中曽根さんが科学技術庁・長官だったとき、原子力事業導入にモタモタしている学会に対して先に予算をとってきて「早くやれ」と奨励したという。学会はアメリカ流の原子力ではなく日本に適した内容にすべきだと主張していた。アメリカでは地震、津波に対する対策は考慮していないままに日本にシステムを導入したのだ。だから非常用発電機の設置も低地に設けた。周辺住民は「泥田に釣るがカネをもって降りてきた」と歓迎したそうだ(立教大学の教授だった物理学者の武谷先生の著述で知ることが出来る)。
当初の原子力事業は技術、環境なども東電が一番情報を持っていて、国の担当者も教えを請うていたほどだ。だから国の言うことなど簡単に東電が受け入れるはずがない。
原子力発電事故で国の責任を問うと原子力行政が大変なことになる。まず「国に責任なし」ありきなのだ。
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