2010年9月24日金曜日

特捜検事の証拠隠滅疑惑:揺らぐ「検察官一体の原則」


100年も前に田中正造も「国民監督怠れハ治者盗人為る」と警告しているように、政治家や公務員の不正を暴き出し、捜査し起訴する特捜検事への期待は大きかった。

ところが、村木元局長の優勢不正事件の無罪で明らかになった主任検事の証拠隠滅疑惑は、小沢さんの政治資金規正法違反事件でも明らかなように、特捜の捜査能力に疑問を抱かせるなど大きな失望へと変わった。

小沢さんの政治資金規正法違反疑惑では、検察しか知り得ない情報をメデイアが垂れ流したことから、検察は世論を操作していると批判が出たが、今度は検察が身内の不祥事に関する情報をメデイアに垂れ流すことになった。

中には「FDに時限爆弾を仕掛けた」との前田容疑者の供述が、面白おかしく報じられ、ミステリーまがいの推測が乱れ飛んでいる。さらには同僚検事、報告を受けたとされる前特捜幹部の談話らしきモノも見受けられる。

しかしその内容は、検察組織に責任が及ばない範囲のものだ。故意でない限り証拠隠滅罪は成立しないために「本人は過失だ」と言っている。報告を受けた上層部は「問題はないと報告を受けた」と主張し責任を回避する。せめてもの慰みは「FDは証拠にしていない」といい、裁判への影響はなかったと主張するようだ。

ところが、検察内にも正義はあったようだ。「公表」を進言した女性検事がいたそうだ。公表すれば、したで反響は余りにも大き過ぎる。提案されたり、報告された幹部検事は困り果てたに違いない。我が身や組織を守るためにどうするか、雁首を揃えたのではないか。

人間は、悪事を果たす時が一番頭が働くという。法や実務に長けた専門家だからいろんな考えが出ただろう。突っ込んだ調査をせずに放置した代償は大きい。

今回の事件は「検察官一体に原則」を揺るがすモノである。

検察官は、上層部の指示、命令で行動し、外部の者からの圧力は受けない。その頂点は法務大臣で、法務大臣の指揮・監督の下に置かれる。指揮権発動が出来るのは法務大臣だけである。私的感情や特殊事情で起訴・不起訴が左右されず、「検察官は十分な事実上の根拠が存する限り」公訴の提起を義務づけられている。この「十分なる事実上の根拠」という概念にいかなる内容を盛るかは検察官の自由裁量である(この項 刑事訴訟法講座 第1巻 有斐閣 昭和38年 参照)。

大阪地検特捜部の証拠隠滅疑惑は、この検察官一体の原則の中で生じた不祥事だ。

何故こんな事件が生じたのか。

最高検の公正な捜査がその問題点を明かして欲しいと思うが、検察に対する国民の不信を増大させる結果になった。検察行政に対してしっかりした監察が必要になる。

検察審査会の制度も国民目線での監視の強化がされたが、まだ生ぬるさはある。政治的に中立な学識経験者、長年法曹生活または矯正教育の経験者などによって構成される検察審査会が、検察監査機関として、より強力な権限を行使し得るような制度を提案されている(この項 前書より)。

今回の事件も関連してか、小沢さんの政治資金規正法違反事件で起訴された3人の秘書の公判前整理手続きで「無罪」を主張する方針だという。第5検察審査会の再議決にも影響するのだろうか。

功を焦って「十分な事実上の根拠」をぐらつかせた大阪地検特捜部の責任は大きい。
検事総長など検察トップの責任はまぬがれない。一方小沢さんの政治資金規正法での疑惑は強制起訴し、検察特捜経験者らから為る3人の選任された弁護士で、小沢さんの「政治とカネ」の問題に取り組んでいった方がお互いに良いのではないかと思うのだが・・。
写真:事件を報じる読売新聞 2010.9.24

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