2010年9月22日水曜日

腹が立たないか、「国民は素人」発言







「素人が、良いか悪いか判断する」と自らが政治資金規正法違反容疑での再審査で「起訴相当」の可能性もある小沢さんの検察審査会批判だ。

小沢さんの代表選敗北の結果、「今回の小沢さんの敗北出、一番喜んでいるのは検察だ。検察情報をリークし、メデイアが世論を操作し、小沢惨敗の結果になった」と著名(?)なジャーナリストがテレビの情報番組でコメントした。国民はバカだからメデイアの垂れ流し情報を鵜呑みし、小沢悪者の世論を形成したと言うのだ。

確かに、「国民目線」は、専門家とは違った判断を下している。

多数の死者を出した明石歩道橋事件、JR西日本宝塚線脱線事故では、専門家である検察が不問にした副署長や社長にまで責任追及を求めた。余りにも自己の悲惨さからトップにも責任があると考えた結論だが当然の判断だ。

又、最近の押尾容疑者の保護責任者遺棄致死事件では検察は6年を求刑、専門家は7~8年ヲ想定していたが、判決では2年6月の減刑になった。公判では新聞情報になかった証拠もあっての裁判員制度での国民目線判断なのだろう。検察の求刑の7~8割が判決の量刑の相場であること自体がおかしい。

今、検察捜査が批判の的になっている。検察を国民目線で監視する検察審査会は重要な役目を負っているのだ。

政治家の事務所経費の疑惑で政治資金規正法に違反する事例が後を絶たない。「知らなかった」で議員本人の責任が不問になるなど政治倫理、国民感情からすると許せないことだ。政治資金規正法は、政治家の活動が公明正大であるかどうかを国民が監視するシステムなのだ。特に政治資金が税金から拠出されていることを考えると、しっかり監視しなければならない。監視されるのが嫌なら政党助成金を断ればいい。

本当に、国民は素人なのか。逆に専門家は正しい判断をしているのか。

私達は法治国家に生き、法律で生活が律せられている。刑法=道徳の教本なのだ。多くの国民はやってはいけないことを知っている。常識から考えて不条理なことには強い抵抗がある。国民の常識、国民目線こそ法解釈の原点なのだ。古い法律を古い固定観念で解釈していては、法は死んでしまう。法解釈も時代にあった解釈にしていかなければならない。
又、私達はメデイアの世論調査、情報に大きく影響されているのか。

確かにメデイアの世論調査の頻度が高く、それにより内閣が変わっているのも事実だ。代表選、総裁選や総選挙などが続くとその傾向が強い。内閣支持率、政党支持率の下落で、このままでは選挙に勝てないと言う理由で頻繁に変わることに疑問がないわけではない。

最近の世論が政治を動かした結果はどうだったのか。1年前の雪崩的な政権交代の波で実現した民主党政権、小沢さんはメデイアの煽る(?)「政治とカネ」で代表選を惨敗した。

難題山積の政局では誰がやっても同じことだ。確かに私達は、情報をメデイアに負うところが大きい。残念ながらこれしか手はない。テレビをよく見る人ほど選挙に行くという結果もあるようだ。数々の不祥事で民主党になれば、何か変わるだろうと期待したのは確かだ。代表選での小沢さんの政策も説得力はあったが、実行となると何の保証もないことも分かった。

菅改造内閣の発足を受けての直近の世論調査で、菅内閣は66%の支持を得ていることが分かった。しかし、その理由に積極的理由はない。「悪さ加減の少ないのはどちらだ」が、判断基準になったようだ。

誰が総理になっても国民が望みを達成できることは難しい。でも国民は常に意思表示をしていかなければならない。「監督を怠れば、政治家は自分勝手なことをする」のだ。

政治家のレベルは、国民のレベルを反映している。テレビのコメンテーターやジャーナリストの安っぽいコメントに惑わされず、事実をしっかり掴んでいくことが重要だ。
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裁判員制度導入PR(法務省まえ):国民目線で活きた法解釈を
第一検察審査会 小沢氏政治資金規正法違反事件で「不起訴不当」議決(検察審査会掲示板 2010.7.15)
後期高齢者医療制度反対抗議行動(2008.6 自治省前) テレビで報道され、激励に多くの高齢者が駆けつけた。主催者は外国通信社のインタビューも受けていた

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